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いせ志穂の「つれづれ日記」
1月31日(月)

◎使い古し食用油から作るせっけん

 今日、カナンの園ヒソプ工房に「地球と共にあゆむ会」の熊谷まゆみさんと一緒に行って、上記せっけんの工場を見てきました。自分の家の「使い古し食用油」から作れたら面白いねー、と熊谷さんと話したら「承ります」とのこと。大体90s単位でお引き受けくださるとのこと。お値段は25,000円前後位。
 グループを作って「オリジナルブランドせっけん」を作りませんか?「ひのきの香り」とか…


↑集められた廃食用油

←薬品を入れてぐるぐる


→粉になる前のせっけん



←担当の佐藤友さん。
 なかなか「イケ面」のお兄さんでした。
 説明もよく解った。


 ちなみにヒソプ工房の連絡先は019-646-8581です。
 小売りもするそうですので、お気軽にご連絡を。





1月30日(日)

◎文化会館・スポーツ施設の運営について考える会

 行ってみたら参加者が120人もいましたよ。すっごいなぁ。関心が高いんですね。良いことです。
 ワークショップ形式で行われましたが、グループのまとめとして施設運営の柔軟性や企画力の向上、市民参加という事を発表するところがほとんどでした。文化会館についてのグループからは「もっと指定管理者制度への移行についての話しがしたかった」という声も複数あがりました。(現在の施設の良いところ・悪いところ・改善点という話しの進め方だったのです)

 この会の終り頃に情報公開についてふっと思ったことがあり、メモをしました。それを以下に書きます。(「盛岡市が情報公開をしていない」という訳ではないですよ。念のため。)

 何のために情報公開をするのか?
 もし、相手が仕事のパートナーだと思えば、その人に出来るだけ多くの情報を与えて、正しい判断をして欲しいと思うだろう。だからこそ、情報公開をする。
 情報を相手に与えないということは、相手を信用していないということ。
 相手の力を認めていないということ。
 相手がどんな情報が欲しいか考えることは、相手のことを理解しようとしていること。

◎ピアニスト故園田高弘氏

 日曜日の21時から教育テレビで放送する「思い出の名演奏」のファンです。(あとはBS2「迷宮美術館」かなぁ。「日曜美術館」は時間的にほとんど見られない。夕飯の後片付けの時間なんで…)でも、ここのところ忙しくて、今日は久しぶりの視聴だったんですが、いやぁ、視聴して良かったです。
 本日の演奏家、園田高弘氏の演奏も良かったんだけど、インタビューに「グッ」と来てしまったんですね。
75歳の時のインタビューなのかなぁ。自分に対する批評精神を持ちつづけること、さらに良い演奏をしたいという意思、そして「生まれ変われるとしたらまたピアニストに」というようなお話だったのですが、こんな風に「より善きものになって行こうとする努力」の話に私はとても弱いんです。
 きれいなものを見させていただきました。
 NHKの番組「戦争をどう裁くか」をめぐったNHKの姿勢は、ちょっと許せないところもあるのですが、今日みたいな番組を見せられるとなぁ…BSのドキュメンタリーも時々ものすごく面白いもの(例えば海外ドキュメンタリーの秀作とか)を結構放映するんですよ。だから、ちゃんと運営して欲しいのです。

1月29日(土)

◎2005こどもまちづくり集会〜はじめの一歩〜

 1月29日、盛岡劇場タウンホールにおいて「2005こどもまちづくり集会〜はじめの一歩〜」が開催されました。主催の「みんなでつくる青山銀河ステーションの会」代表丸山ちはやさんの挨拶の後、第1部はパネルディスカッション。コーディネーターはこのHPでもおなじみ(?)の岩手県立大、山本克彦先生、パネリストは水沢市ホワイトキャンバスから「オカP」こと佐々木範明さん、同じくホワイトキャンバス立ち上げの際水沢市ジュニアリーダーJUMPで活躍した(今はOBです。)加藤雄大さん、トロリン村毛(無森開墾地を育てる会)村長代行の田口善政さん。
 それぞれの方々の自己紹介も兼ねた現在までの活動を報告した後、山本先生考案の「プロジェクターX(エックス)」へ。これは「恋のから騒ぎ」方式で、パワーポイントに質問を写す、その後それぞれの回答を写して「この答えを書いたのは?」「はい」「あー、○○さん。これは?」という風に進んでいくあれですね。
 二つの質問と回答をここに書いておきます。

Q:あなたにとって子どもという存在を一言で言うと?
A:
オカP ズバリ「ともだち」
学校での仕事は「遊ぶこと」
加藤 昔の自分
寺子屋事業で「なんで積極的にやらないんだろう?」と思ったり、悩みを相談されたりす ると、「あ、そう言えば自分もそうだったなぁ」と。
田口 おもしろい!
子どもたちの成長・変化を見ると非常に興味深い
Q:子どもに対して「負けた!」と思う瞬間は?
A:
田口 パソコン
今までだったら大人は子どもより技術・知識で勝っていたのに、現実的にかなわない
オカP 街などで先に声をかけられたとき
「あの子知っているような気がするなぁ」と思いつつ、間違ったら恥ずかしいなぁと思ってい たら先に「オカピィ〜」なんて声をかけられると「あー、負けたなぁ」と。
加藤 頭のつかい方
「3*3は?」「9」「2+1は?」「3」「1+1は?」「2」「バっカだなー、田んぼの田だよ」こういうや り取りがあったとき。子どもの頃、自分もこういう遊びをやったけれど、大人と違った固定 観念に縛られないとらえ方をしている。

 こんな感じで、それぞれの「子ども感」を話しながら、第1部は終り、第2部は交流会。6つに分けたテーブルで、それぞれ交流したりしながら、自分たちのやっている取り組みをアピール。2部から乱入した子どもたちも良い雰囲気をつくっていました。

 子どもでも世の中に対して言いたいことはあるし、社会の役に立ちたいと思っているということが解っている大人たちと話すのは快い事でした。

1月28日(金)

 明日は「こどもまちづくり集会」だっ!あたしの分の準備が終わっていないんだけど…
 時間がある方は是非ご参加を。

◎地方自治体管理職登用に外国籍の方を排除

 昨日のニュースにありましたよね。
毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/01/27/20050127ddm001040117000c.html
 これは、ちょっとひどいよ。
 この間、広がってきた自治体での外国籍市民の採用や地方参政権獲得の流れに水を差す事にならなきゃ良いんだけど…。
 特に在日の方々は、日本で生まれた方もいるわけだし、今回の最高裁判決には「やっぱりそうなのか」と感じた方も多いのではないかと思います。こういう無念を感じさせる、そんな日本であって欲しくない。
 私は「共生」したい。
 在日として生きてきたその方だからこそ、やれる仕事ってあるのだと思います。

◎追記

 書いていて思い出した。映画「パッチギ」何とか時間を作って観たいです。
ヤフー、ムービー
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=321423
 まだ観ていないけど、皆さんにもお勧めします。

1月27日(木)

◎ガーン

 昼に事務所で明日締め切りの特別委員会報告書のためのレポートを書いていて、夜に続きをやろうとリムーバブルディスクにデータを落としたつもりが、家で開けてみたら入っていない!大ショック!明日の午後2時から市議会全員協議会があるので、せいぜい1時までには仕上げなくてはいけないんだけど、できるかなぁ…不安。

◎雪の日の内丸周辺

 冬の盛岡、きれいですねぇ。撮ったときは寒かったけど。(「夜、ふらふらするな」なんて無粋なことは言わないでね。)
 ←本日午後5時頃、市役所の議会改革フォーラム控室から見える中央通。
 午後7時30分頃の青春館の西側の道路。↓







 夜の岩銀中の橋店。↓




 その北側の中津川沿い道路。↓(ここはホントきれいよねぇ…)














1月26日(水)

 昨日も日記を書かないまま寝てしまいました。一回さぼってしまうと後はズルズルさぼってしまうものなのね…毎日書いたものをやり取りしている仲間の方からの文章で「今日やるべきことを明日に伸ばすと、結局やらないままになってしまう」という意味のことが書いてあったけれど、ホントにそうなんだわ。実証されました。
 要するに「人生には限りがあるのだから、今日何をやるのか、ということを自分で決定して生きていく」という事、「自覚的になる」という事が大切なんだなぁ、と思った次第です。

◎中央卸売市場

 今日、「中央卸売市場に関する調査」のために、産業環境常任委員会が開かれました。
 新市場は250億円規模の取引を行う計画で造られましたが、結果として取引額・取引高とも減少しています。このままで行くと市場移転時の計画がくるって行くばかりではなく、一般会計からの持ちだし額がどんどん増えて行ってにっちもさっちも行かなくなる可能性があるんです。
 それに加えて、昨年11月に開かれた市場運営協議会で「岩果倒産後に市場再生委員会から出された報告書の実施について検証する第三者機関をつくって欲しい」という要望が出されていました。つまり、市場の開設者である盛岡市が市場再生委員会の報告書に沿った総括をしていない、もしくはしていてもその内容に満足していない、という事なんですね。(卸売業者にも満足していないのだといます。「再生委員会の報告にあるように、新たな資本の参加により6割以上を農協関係が占める資本構成を変えて欲しい」とか「2社体制にして欲しい」という声もチラホラ聞こえてきたものですから。)
 協議の内容は多岐にわたったものですから、報告をはしょって私の感想を書きますが、どうも市場運営についての長期的な指針がしっかりしていない様に感じました。市民にとって、どういう市場が求められているのか、現在の市場取引の縮小の原因がどこにあるのか、この辺を打ち出して合意をとり、その後は検査・検証をして行かないかぎりどうしようもないんじゃないかと。
 まず、指針(ビジョン)を指し示す事、もう少し問題点を解りやすく公開していく事で、市場に直接関係している人以外からの意見を求めて行くべきだと感じました。
 今日の資料は後日「トピックス」の方で公開します。ご意見をよろしくお願いします。

1月24日(月)

 「送受信」ができない!どうもどこかが壊れちゃったらしい。メカ音痴の私には解らない。
 八方ふさがりです。メール使えないとなると、一気にやれることがなくなるっていうのもマズイですよね。

◎オカPさんと話して子どもの頃を思い出す

 22日に水沢ホワイトキャンバス(「ホワキャン」って言うんだって)にお邪魔して、「群」の会のオカPこと佐々木範明さんにお会いしてきました。ホワキャン発足時には会社員だったそうですが、今は会社も辞めて子どもと関わる仕事一筋の、本人曰く「変わった人です」。
 子どもと関わって何が面白いかと言えば「変化を見ること」なのだそうです。でも、子ども達は「お客さん」でいると成長しないのだそう。「自分のことだ」と思って主体的に取り組むことが大切なのだとお話しされていました。「これって大人もそうですよね」とも。
 ホワキャンに行くのは二度目なんですが、今回の訪問でホワキャンにあるものは「人と人との関わり」だということがよく解りました。関わることは良いことばかりじゃないですよね。煩わしかったり、傷ついたりもするわけで。でも、他人と関わらない限り、自分にないものを知り、それに影響されることってないのだから、だからこそ、たくさんの人と接し「揉まれる」事がプラスになっていくのでしょう。大人でも、子どもでも。

 あんまり書いちゃうと、29日の「子どもまちづくり集会」に来る人が減っちゃうかもしれないから(笑)この辺で止めます。ご興味のある方は盛岡タウンホールに来て本物と話をしてください。
 オカPさんと話をした後、自分はなぜこんなに子どもの発言権にこだわってしまうのか、考えてしまいました。
 やっぱり、子どもの頃に言いたいことが大人に伝わらなかったせいで悔しい思いをしたからなんじゃないかと思います。私はいわゆる「小生意気な」子どもだったけど、それでも語彙が足りなかったんだよね。解ってもらいたい、認めてもらいたい大人の人に、言いたいことが上手く言えなかった時の悔悲しい(新語です)あの気持ち。今思い出してもちょっと切ない。
 いやー、あの頃は「大人になればこんな事はなくても済む」と簡単に考えていたけれど、42歳になってもおんなじだ。言葉が通じなくて今でもあたしは「悔悲しい」よ。おざなりにではなく、聞いて欲しいし答えて欲しいと思うんです。(今日の国会もそうだよ。真面目に答えて欲しいですよ、総理に。)だからこそ、子どもの発言権にこだわっちゃうんだろうな…

◎追記

 以上の事をつらつら書いていて思い出したので、「おまけ」です。
 姫野カオルコ(私、ファンです。「ツ、イ、ラ、ク」は最高だった。)の小説に「特急こだま東海道線を走る」(文庫では「ちがうもん」という題で出ていると思う。たぶん。)というのがあるんですが、これを読んだ時、前述の「そういう気持ち」を上手く言い表してくれているような気がしました。
 あー、忙しくてしばらく小説も読んでいないな。「モーターサイクル・ダイアリーズ」も観られなかったし…

1月23日(日)

 どうも疲れがたまっているらしく、ぼーっとしています。でも、ここの所、色々とエキサイティングな人たちにお会いしているもので、神経は高ぶっている模様。ストンと眠れないんですよね。これが以前から聞いていた「40代の壁」か?

◎水沢

 ホワイトキャンバスの関係者に昨日・今日とお会いしました。
ホワイトキャンバス
http://homepage3.nifty.com/whitecanvas/
 1月29日の「つどい」の打ち合わせでお会いしたのですが、いやー、面白かった。
 今日はちょっと体力が尽きてきているので、明日にでも報告します。

◎集まること

 この日記を毎日更新する様に頑張り始めたのは、平井雷太氏の「考現学」に刺激されたからだということは以前書いた通りです。何人かの方と書いたものを見せっこしています。
 今日、Yさんという方から送られてきた文章の中に「地域の集まりの出席が悪いのは価値観の違いがあるからだろう」という主旨の事が書いてありました。
 議員になってあちこちからお話しを聞く機会が増えていくと、色々な方が色々な活動をされている事に気がつきます。でも、概して「集まり」への出席は少なくいつも同じ面子である事が多いようです。
 価値観が多様化しているのはその通りなんですが、もう片方で、支えてくれる他人がいれば避けられた事態も多いように思います。例えば児童虐待とか、孤独死とか。

 児童虐待で思い出した。ちょっと脱線。「ネグレクト 育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか」というドキュメンタリー本、面白かったです。
セブン&ワイ-本
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31448493

 自分の生活を守っていくためにつながっていくことの必要性は生まれているのだから、その手法を工夫していくことで解決しないのかなー、と思います。
 そんなに単純ではないんだとは思うんですが。

1月22日(土)

 昨日の夜(と、言うより今朝)が遅かったせいで、午前中はバタンキュー。午後・夜と人に会い日記を書けませんでした。

1月21日(金)

◎参画

 以前何度かこの日記でも書いた「青山駅を子どもや地域の人たちでつくろう」という動きについて書きます。
 今まで協力してくれた子ども達と一緒にパブリック・コメントで要望したりしてきました。盛岡市の行政側も積極的に「新しい方法でやってみましょう」と言ってくれたのですが、これがなかなか「初めてのことは難しい」を絵で描いたような感じなんですよね。
 しかし、話を聞けば聞くほど、行政って難しいルールが色々あるのねぇ…いや、嫌みじゃなくて。扱っている仕事が大きいから「きちんとしたルール」が必要だったのでしょうね。それはそれで、ちゃんとやってきた証なのだとは思います。
 指定管理者制度の事を考えてもそう思いますが、以前は機能してきたけれど今は新しいやり方を阻害するような仕組みは、市民参画という新しいやり方が入っていかないと変えるのが難しいように思いました。(現実的に迫られないと、何が問題なのかって解らないものだと思うので)
 「行政と市民が一緒になって新しいシステムをつくる」って言うか、「一緒にやっているうちに新しいシステムが結果としてできる」っていう方が正しいかな。そんな感じのことが出来れば、現在の地方行政上「問題」と言われていることのいくつかは解決していくような気がします。
 ちなみに写真は特に意味がありません。昨日、プラザおでってから見た岩手銀行がきれいだったもので…でもWeb用に加工したら降っている雪が見えないね。

1月20日(木)

◎法務省・入管に抗議を

 東京の友人からのメールで知ったのですが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって難民と認定されているクルド人父子が法務省・入管によって強制送還されたそうです。

アムネスティ・インターナショナル
http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2005/0501180.htm

 「白人だったら強制送還されなかったんじゃないか」と思うのは、うがった見方かなぁ?
 以前、中東出身の知人に「同じアジア人だもの。考え方が似てて当たり前!」と言われた時に、実はびっくりしちゃったんですね。それまでの私はアラブ人やペルシャ人よりアメリカ人やオーストラリア人の方が、何となく近しいような気になっていた。(!)こういう感覚を「日本人は黄色い白人」と揶揄されるんだろうな…反省しました。

 以下、メールから貼り付けます。ご協力を。

▼法務省・入管への抗議、トルコ大使館への送還された二人の安全の要請、EUへの支援の要請の電話、FAX、メール等の働きかけのご協力をお願いします。

【法務省】
 FAX:03-3592-7393
 e-mail:webmaster@moj.go.jp
【東京入国管理局(品川)】
 TEL:03-5796-7111
 退去強制執行部門 TEL:03-5796-7122

          FAX:03-5796-7125
【トルコ大使館】
 e-mail : embassy@turkey.jp
   TEL:03-3470-5131

   FAX:03-3470-5136
【EU 駐日欧州委員会代表部】−日本語可−
 千代田区三番町9-15 ヨーロッパハウス
 TEL:03-3239-0441 FAX:03-3261-5194


1月19日(水)

 昨日、書きませんでした。(この「書きませんでした」報告をする時って、結構敗北感を感じちゃうんですよね…)

◎捨てる
 左は「いせ事務所内私のスペース」です。
 しかし…散らかっているとは思っていたけど、あらためて写真で見ると、ホント散らかっているなぁ。

 非常に月並みですが、私も10代の後半から太宰治に夢中になりました。私の場合、そこで止まらずに坂口安吾を好きになっちゃったんです。
 何故か?
 小説も良いんだけど、ペンと原稿用紙以外は何も持たない生活に潔さを感じたんですよね。今もそう思うもの。かっこいいなぁ!
 いつか、身辺を整理し、執着を捨てて、「鉛筆一本だけのくらし」をするのが私の夢なのですが、ご覧の写真のとおり年と共に更に増す執着心…特に「書き物への執着」が強くて、逆に「必要な時に探せない」というパラドックスが生まれています。
 やっぱり、坂口安吾は偉かったんだなぁ。

1月17日(月)

◎おまけに

 昨日、「忙しくなった。」って書いたばかりなのに、下の子が風邪をひいて熱を出しちゃいました。最高気温の差が15度もあったのがいけなかったのか、それとも忙しくなりそうなのを察知して、牽制球を投げているのか…何にせよ、ちょっとだけパニックに陥りそうです。

 我が血筋は「自家中毒」体質なのです。私も子どもの頃は、嫌なことがあると熱を出しました。中学生頃になると「嫌だなー、熱、出ないかなー」と考えると、実際に微熱が出るという経験を何度もしています。(と、言うより、かなり高い確率で具合が悪くなった。)
 私の場合は、「逃げても結局、その結果は自分にふりかかってくる」ということが解ってきた頃(中学校の終わりくらいだったかなぁ…)、発熱しなくなりました。
 しかし、思春期の頃って、何があんなに嫌だったのかなぁ。熱を出して人生をサボっていた時間を、今、預貯金みたいに引き出して使えるものなら使いたいです。

 
1月16日(日)

◎忙しくなりつつあります

 今日は朝から夜遅くまで人とお会いして話をしていました。
 どうも私の「立ち止まって考える」時期は終わってしまったようです。
 あまり考えてばかりいると、ぐるぐる同じ事ばかり考えてしまいがちになるので、神様が「忙しさ」をプレゼントしてくれた模様です。

1月15日(土)

◎出来ること

 ここ数日、何人かの方と盛岡の今後について討論になっているんですが、その話をしていて気づいたことがあります。

 首長や議会と自分の方針が違う時、それも「大変重要と思われる課題で」「決定的に正反対であり」「話し合いがこれ以上できず」「白黒着けなければいけない時期に来ている」時、一言で言ってしまえば「とにかくその事を止めさせたい」時に何ができるのか、考えました。

 前述のような時に議員が議会の中で出来ることは、議案の否決・議員発議による議案修正や条例制定・首長の不信任決議など。実はあまりたくさんの手段があるわけではありません。
 市民が取りうる手段は、住民投票の直接請求・リコール・選挙などだと思います。

 「結構やれるもんだ」と思います?それとも「なんだ、これくらいしか手段はないのか?」と思います?私は国民が自覚さえすれば、かなりのことがやれると思っているんですよね。

 自分自身「人として後ろめたいこと」をやっているつもりはありませんが「だらしないこと(部屋着のまま近所を歩き回るとか、足でドアを開け閉めするとか、そんな感じの事。)」はかなりやっているもんですから、議員になって人目を気にする様になりました。(「それでも充分だらしない」と思っている人は多いだろうな…)
 これって突き詰めて考えれば「選挙が怖い」って事なんです。
 選挙で選ばれる仕事に就いている人は、こういう感情は多かれ少なかれ持っているんじゃないかなぁ?

 「民主主義ってすごい」って思うのは、誰でも選挙の一票を持っているって事です。選ぶだけじゃなく、罷免する権利も。(ハードルは高いけれど。)
 この権利をもっと意識して利用すれば、より多くの要求が実現できるんじゃないかと思うのです。
 「ボランティア選挙をやろう」と呼びかけているのもそういう理由から。

 うーん。具体的に書いた方が分かりやすいんだけど、話した中身は内緒なの。
 ごめんなさい。

 
1月14日(金)

◎疲れている?

 今日は日記を書きたくありません。特段「何がどうこう」と言うわけではないのですが(そして、それなりに色々あったのですが)どうも「書くモチベーション」が低いと言うわけです。
 「毎日書く」というのは、以前から何度かこの日記に登場してきた平井雷太氏の影響によるところが大きいです。平井さんは「鬱状態でも淡々と書く」事をずっと続けているそうです。う〜ん…「淡々と書く」と言っても鬱が入っているときは書くことがないよー。
 ここのところ、日記も自分の内に向かったものが多かったからかなぁ。「もう少し、目を外に向けろ。(特に政治に)」というサインなのかもしれません。

1月13日(木)

 お待たせしました(なーんてね。)今日の分までアップします。

◎ 「たとえ恣意的でなかったにせよ、結果としてNHKへの言論統制になった」と思う

 2001年1月に放送された「戦争をどう裁くか」という番組で 「女性国際戦犯法廷」を取り上げた回があったんですが、その内容を事前に知った 中川昭一衆院議員、安倍晋三官房副長官(当時) がNHKの国会対策担当に「番組が偏った内容である」という意見を述べ、NHK側が一部をカットして放送したという事が報道されています。

NHKプロデューサーの会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050113-00000103-yom-soci
安倍晋三議員の反論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050113-00000179-kyodo-pol
女性国際戦犯法廷
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/womens_tribunal_2000/judgment.html

 安倍晋三氏は、呼びつけたわけではないこと・公平公正な報道を要望したこと、を反論としてあげていますが、でもNHK側が「予算に関わる問題である」と感じたら、それはもう圧力になったということですよね。(たしか、鈴木宗男氏の有罪判決はそういう論調だったと思う。)

 「公平公正な報道」ということであれば、女性国際戦犯法廷が行なわれ 同法廷が昭和天皇と日本国家の責任を認める判決を出した 、ということは客観的な事実なわけですから、その事実を不快に思う人がいようがいまいが、その事を番組で取り上げるのは何ら不公平ではない。また、番組に出演した方がその事に対して意見を言うことは、個人の意見ですから、それ自体もNHKの姿勢が偏っているとか偏っていないとかとは関係ないはずです。

 放送されたものに対して阿倍氏が意見を言う自由もある。でも、官房副長官という立場にあるものが国会対策担当に対して、放送前の番組に対してどうこう言うのは、やっぱりおかしいような気がします。

 そもそも、「放送前の番組を見たのか?」という疑問がある。見たとしたら、それこそ検閲っぽいし、見ないで言ったとしたら「事実に基づかない情報で判断するのは国会議員としていかがなものか」という、資質の問題にも関わる事になっていくと思います。

 1月4日の日記に「外国籍の方から、日本には言論の自由があって良い、と言われた。」と言うようなことを書きましたが、そうじゃない方向に進めようとする人たちがいるように思います。しかし、言論統制は自浄能力がなくなるという点で政権の腐敗を進めると思うのです。

 「市民の前で自分の考えを話す」という仕事をしているという点では、安倍氏と私は同業者。(おー、いせ志穂、大きくでたね!)その観点から私が感じたことは、
 「自分の考えに自信があるのなら、番組が放送された後に堂々と意見を言えよ」
と、いうことです。
 やっぱり、どう考えても変だよ。

1月12日(水)

◎再び「二つのアメリカ」
 または「多様性を認める」ということ

 岩手日報の新春特集(だと思う)「戦後60年 21世紀の世界、日本」というシリーズをまとめて読みましたが、面白かったです。残念ながら今日で終わっちゃったんですが。
 今日は地雷撤去の運動でノーベル平和賞を受賞したジュディ・ウィリアムズさんのインタビューだったんですが、これを読んでブッシュ政権がなぜこんなに嫌なのか解りました。「アメリカ合衆国の一人勝ち」を追求し、異なる考え方を一切認めないからなんですね。

 この間の日記を読み返すと、ずっと「多様性」について書いているんですが、環境によって異なる社会が共存するためには協議が必要だと思います。お互いを認め合う事が民主主義の出発点な訳で。つまり「反ブッシュ」運動というのは、民主主義をめぐる闘争だったのだと。
 方やテロへの恐怖をあおり国内を一つにしようとする勢力と、テロリズムに走らざるを得ない「希望無き」社会に暮らす人々をも理解しようとするジュデイさんのような勢力と、ひょっとしたらこれから世界は二つに分かれていくのかもしれません。

 以前、「社会の安全を追求していっても不安は解消されない。だからこそ、安心に住める社会を構築することに心を砕くべきだ」というような意味合いのことを書いた記憶があるのですが、それと全く同じ構造を持っていることに気づきました。
 私は「多様性」こそが社会を発展させる原動力だと思っています。「多様でありつつ安心できる社会」って不可能ではないと思いますし。
それに何たって、多様な方が面白いじゃん!(軽い?)

◎いきなり

 早朝に歯が欠けてしまいました。何とか抜歯(入れ歯)は免れたものの、老いを感じる出来事にちょっと呆然。

1月11日(火)

◎鮭

 東北道を北上。
 福島市の手前から雪、雪、雪。昨日まで「最高気温12度」だったのに〜。
 矢巾町付近あたりのおなじみの風景あたりから、胸にキュンと来るものが。
 そこで、30年間盛岡に暮らしてきた夫との会話。
 「あたしさー、何回帰ってきても盛岡周辺に来ると、ぐっと来るんだけど、そう言うのってある?」
 「俺にはそう言う根拠ないでしょ。あなたにはあるだろうけど」
 「んじゃ、千葉に行けばそう言う風になるの?」
 「なるよ」
 「だってさ、千葉で暮らしてきたより盛岡の方が長いじゃん」
 「そう言うもんじゃないの。人間も鮭と同じなんだよ。鮭と」
 そうか、鮭と同じなんだ。

 郷愁の念はリリカルだったんですが、久しぶりの家で体重を量ったら、なんと3sも増えていた。なんでー?たった6日だよ?
 休息は人を太らせるものらしいです。(おいおい、去年の今頃より5sくらい太ってる。まずいよ。やせるほど仕事しよっ…)

1月10日(月)

◎多様性

 今日の夜、外に出たら満天の星空。あーッ、写真が上手く写っていないっ!ホントはとってもきれいだったのよ。
 「冬の星座」という歌があるけど、冬の盛岡は寒くって、こんなにゆっくり空を眺めた事はない様な気がします。
 そもそも、フリース一枚ひっかけただけで外に出られるなんて!まず信じられません。今日だか昨日だか不確かですが、盛岡の最高気温は−2度だとか…
 こういう多様性を見せつけられると「日本は豊かだなぁ」と思います。大事にしなくてはいけないんじゃないかな。

 多様な自然状況に合わせた文化がそれぞれの地域で発展してきた訳ですよね。
 でもさ、徐々にそういうのってなくなりつつあるように思います。
 「それは間違っているよね」と星空を眺めながら思いました。

1月9日(日)

◎道具と思考

 昨日から、今朝3時過ぎまで話をしていました。眠いです。
 以下、夫の実家に各駅停車の電車で帰りながら考えたこと。ちなみに写真は「眠いくせに本を読みふけっているいせ志穂」読んでいたのは、平田オリザ著「芸術立国論」(面白かったです。)

 自動車に乗っているとき、新幹線の時、そして今回のように各駅停車(「鈍行」とも言いますね)に乗っている時、それぞれ似たような課題について考えていても、その考え方や結論が違ってくるような気がしたんです。
 私は「自分」というものが、いつも普遍的に「私」として存在しているように思ってしまうのですが、どんな交通手段を使うかによって考え方やその結果が違ってくるのかもしれません。
 自分で思っているよりも環境に支配されていると思いました。

 とすれば、使う道具によって、仕事のやり方やもっと言ってしまえば思考方法までが変わってくるのかもしれない。そう言われてみればパソコンが生活の中に入って来てから、文章の書き方が変わりましたよね。そういう経験ありません?
 道具を普及する、というのは世界制覇(?)の一つの方法かもしれません。

1月8日(土)

 東京で友達と会って一泊します。ので、今日の日記はパス。(写真は電車の中から見た海。)

1月7日(金)

◎何年かぶりに絵を描く

 子どもの宿題のお付き合いで絵を描いてみました。思うとおりの線がひけるかどうか、は訓練ですから思うとおりには描けません。でも「形の見方」みたいなものは消えないのだなぁ、とも感じました。
 職人さんで「手が覚えている」というのがあるみたいですが、そういう思考のあり方について考えました。

1月6日(木)

◎ 移動日

 東北道を一気に南下。やっぱり房総半島はあったかいです。
 運転をしていたか、眠りこけていたか、ご飯を食べていたか、それ以外のことはやっていません。なのであまりものを考えませんでした。(だから移動日って好き。)体もそれほど動かさず、頭も使わずで、太ったような気がします。(多分、ほんとに太っているぞ…)

1月5日(水)

◎ バタバタ

 午前10時から合併建設計画に関する市議会全員協議会。午後3時から会派の新年会。
全員協議会の内容は皆さんに報告するべきなのだと思いますが、明日から夫の実家に帰省するための準備で息をも付く暇が無いような忙しさで、書く暇がありません。
 ごめんなさい。全員協議会の報告は盛岡に帰ってきてからに。

1月4日(火)

◎ついに

 昨日、ついに「毎日書く」を破ってしまいましたぁ。書くのを忘れて寝ちゃったんですね。
 別段、夜遅くなってしまったわけでもなく、何故書かないままになってしまったのか不明なんですが。「
毎日書く」と決めたことを破ってしまうと、ついつい「今日も書かなくても良いかも」と思ってしまうことに気づきました。破ってしまったとしても決めたことの中身自体は変わっていないのにね。不思議なものです。
 「最初はちょっとしたことだったのに、そのままずるずると悪いほうに行ってしまう」ってこう言う風な感じで行っちゃうんでしょうか…?

◎言いたいことが言える国

 外国籍の方に「日本は全部が全部良いと思わないけれど、自分の考えていることを隠さず言えるのは良いと思う」と言われたことがあります。
 確かにそうだ。私もそう思います。
 でも、少しずつ「言いづらい国になっているんじゃないか」という気がするので怖いんです。去年、イラクの人質事件の際「自己責任」論が出てきてそう思いました。
 今年いただいた年賀状の中に「お国のため、という考え方を押し付けようとする空気がはびこりつつある」と書かれたものがありました。「国のためにならないやつはいらない、という風潮」とも書かれてありました。いや、ほんと、これは怖いですよ。

 世間に対して筋を通そうとする行為を、私はよく「美しい」「きれい」と言うようですが(こんな風に言っていることを指摘されるまで自分では気づかなかったのね。)それは、結果としてそうなるのであって、何か規範があるわけじゃないんだと思うのです。その人が別段「国のため」にやっている訳でもないと思うし。
 日本が「誰かのため」ではなく「自分の(モラル?美意識?)のため」に行為が行われる社会であって欲しいと思います。

◎すみませんが

 明後日早朝から11日の夜まで盛岡を離れます。
 毎日書きつづけるつもりですが、明日の分からHPにアップ出来ないと思います。
 次回の更新は11か12日になると思いますので、ご了承ください。

1月2日(日)

◎やっと…

 ニュースが完成しました。
 今回の号は、最初から最後まで(?)やりましたので、充実感はあります。その分、お正月はなくなってしまいましたが。
 ご希望の方にはお届けいたします。お声がけください。
 「いらない」と思っていても、持って来られる方もいらっしゃるかもしれませんが…

1月1日(土)

◎新年の抱負

 あけましておめでとうございます。

 昨年は国や自治体のあり方について考え始めた年でした。問題点を指摘するだけではなく、それにどう対処して行くのか、解決の方法まで踏み込んで行く必要性を骨身にしみるほど感じました。
 今まで私は「規制の政党や団体、官僚に期待は出来ない」と言いつづけてきました。しかし、正直なところ、彼らがここまで無方針・無責任であるとは…本当に「一般市民が」政治の正面に出なければならない時代なのだと実感しています。
 今年、私はもっとたくさんの人たちと日本や岩手や盛岡の未来について、考え、話し合い、一緒に行動をして行きたい。そういう輪を広げて行くことが、私の今年の仕事なのだと思います。

◎1月1日

 以前も書きましたが、私は盛岡市在住の方に年賀状を自分から出す事が出来ません。いただいた賀状に手書きの返信を出すことは出来ます。だから今日1日、私が何をしていたかと言えば「年賀状書き」。これに尽きます。
 結局、ニュースは出来あがりませんでした。「今年も相変らず」予定より2日遅れ。

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