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いせ志穂の「つれづれ日記」


11月25日(日)

 23日に「狂牛病シンポジウム」に行きました。生産効率に比重を置きすぎた農業のあり方が狂牛病を発生させてしまったということがよく解りました。海外と競争するために早く太らせなければならないから栄養価の高い飼料を家畜に与えなければならなかったが故に、本来草しか食べない牛に肉骨粉を与えるということになっているわけですよね。でも、考え込んでしまったのは「それではいけない」というのは解るけれど、現実問題として現金収入が無いと農家もつぶれてしまうわけだし、ある意味では、消費者の要求にそった農産物を生産したが故の「狂牛病」という部分もあるのではないかと。
 もちろん、こんなになってしまった最大の責任は農政をほっぽりなげていた政府にあるとは思うのですが、じゃあ「どうすればいいのか」と言われれば本当に悩んでしまう。実家が乳牛をやっている夫に言わせれば「大規模化・単作化させてきた日本の農業政策が悪い。もっと色々な作物を作れるようにして、設備投資の借金をなくさせれば、まだまだ農業で食っていけるはずだ」とのこと。(他にも色々言っていたけれど理解できなかった)
 この「狂牛病騒ぎ」がまたしても「官僚と政府の無責任さ」を確認するだけのものに終わらずに、日本の農業をみんなで考えるきっかけになればいいのですが…

 


11月22日(木)

 しばらく日記を書いていないなぁ、と思っていたら、もう2週間も経っているではありませんか!我ながらズボラです。(実は次女の母子手帳と赤ちゃん手帳が無い!ズボラにもほどがある自分で自分にあきれています)
 この2週間の間に色々な方にお会いしたり、やったことも多少あるのですが、今日は久しぶりに「首の事」を書きます。おかげさまで昨日の診察で「次は半年後で良いよ」と主治医の先生がおっしゃいました。ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。カラーも一週間ほど前から外しています。一部には「遠くからでもすぐに伊勢と解るので一生していた方がよい」という声もあったのですが、謹んでさようならを言わせてもらいました。首だけで振り返ることができるのは幸せなことです。
 11月20日に「ミウィ」という子育てサークルで「子どもの権利条約」についての勉強会の講師をさせていただきました。結果は惨敗。子ども達に「子どもの権利条約」を教える難しさに改めて気づきました。でも、子どもが知らなければ意味がないんですよねー。もっと精進しなくては。その資料として「児童の権利に関する条約」の要約版を作ったのですが、これが大変勉強になりました。子どもに解るように説明するためには、自分で本当に解らないとできないものですねぇ。とっても苦労しました。(その割にできがあまり良くないのでネットで公開するかどうかは考え中です。その後、谷川俊太郎の訳文を見せられたものですから、自己嫌悪、自己嫌悪。まぁ、谷川俊太郎と対を張ろうなんて言う方がおこがましいんですけどね)


11月7日(水)

 視察の報告を書いていたら今日になってしまいました。「どうせ7日は移動日なので遅くなってもいいや」というたるんだ気持ちが夜更かしを誘いました。でもいいや。どうせ移動日だ。
 2日に「舞田文夫展」をマリオスに見に行きました。実は私の父は舞田文夫先生に私は舞田信也先生(御次男です)に習っているのです。舞田信也先生は私の事を覚えていて下さって「特美に入ったって聞いたから、いつか作品が見れるかなと思っていた」とおっしゃられました。 いやー、正直言ってそう言われると悲しかったです。
 私も絵をかく人になりたいと夢想していた時もありました。でも、21歳くらいの時に「私の場合、言いたいことを絵で描くより、言葉で話す方がより的確である」事に気づいてしまいました。絵を描いたりする事が苦しくなりました。
 そこで私は逃げたからなぁ…
 そう言えば以前、舞田先生に「あまり自分の描いている絵に理屈を付けない方が良いよ」と言われたことを思い出しました。中学3年の時、エッチングの授業でした。考えてみればあのころからそういう傾向が強かったんだなぁ…もの悲しい思い出だわ。センチメンタリズム。
 さてさて、舞田文夫展はとても良かったです。こんなにまとめて見たことは無かったのですが、実は今回ノックアウトされちゃいました。牧歌的なのにとてもモダンな感じもするし、おおらかな様で実は神経質みたいなところもあるし。とにかく不思議に魅力的です。お時間がある方は是非見に行って下さい。
 九州にいるのに視察話ではない事を書いてしまった。初めて見た阿蘇山の話とかも書きたかったけれど、もう遅いので今日はパスします。


10月30日(火)

視察のドタバタで新聞も読まず、ニュースも見ていなかったら、あっと言う間に自衛隊の派兵が決まっていた。
 あのー「本当にこれでいいわけぇ?」と聞きたい気持ちなのですが…
 先日、つい最近中東方面に旅行してきた人から話を聞いたのですが、彼女の話を要約すると「やっぱり貧乏なままで、将来が思い描けない生活が良くない。豊かになっていけば外交政策も変化する。」とのこと。(この話はテープにとってありますので、後でおこしてサイトに乗せます。話を聞いて、ムスリム社会への誤解が私にもあったことに気づきました。)
 今までアフガンやパキスタンで活動してきたNGOの多くが「自衛隊の派兵は活動の障害になると思う。」と発言している。「コソボ空爆の際はEUのNGOは暴徒に襲われたが、日本のNGOは大丈夫だった」とも新聞で読みました。
 もう一度書きますが、本当にこういう結果で良いのでしょうか。
 私としては、大きな間違いを犯したような気がするのですが…


10月29日(月)

 視察で北九州に来ています。まじめな話は「視察報告」の方でどうぞ。
 今日の夕食は「自由行動」だったので、一人で街をぶらつき歩きました。(こう書くととても悪そうに見えますが、私は基本的にお酒を飲めない体質ですので、あまり悪いことは出来ません。文字通り「街をぶらぶら歩く」事が大好きなのです。「安上がりな女」と言われております。)しかし、こう言っちゃあ何ですが、政令指定都市って何となく肌触りが似ている感じがするのですが…北九州市は横浜の雰囲気がしました。(初めて横浜に行ったときは「でかい仙台だぁ」と思いました。)それでちょっとがっかりして「ご飯食べて帰ろう」と思って料理屋さんに入りました。そこで、あったんですよ、収穫が。

 私の隣に4席位間を開けて座っていた70代位とおぼしき男性客の話を小耳に挟みまして。 「だって西郷隆盛だって靖国神社には入っていないんでしょう?!明治の基を作った人なのにその後は逆賊にされるなんて、そういうやり方はおかしいよ。そんな靖国神社じゃなくて、空襲で死んだ人も含めた慰霊の場所を作るべきですよ。」

 あー、好きだなぁ。こういう地域イズム。この方はきっと薩摩の出身なのでしょう。「中央が絶対正しい」と言うのははおかしいものね。ちなみに私のヒーローは安部貞籐です。(やっぱ、蝦夷の人間ですからね)無味乾燥っぽく感じていたこの街が、ぐっと身近になった一瞬でした。


10月18日(木)

 今日の岩手日報にも載っていましたが、16日に簗川上流の山を見てきました。大規模に大根畑を作ったせいで雨が降るたびに土がえぐられて山が崩れ、その汚泥が簗川に流れ込み汚濁の原因を作っている場所です。
 9月議会で何人かの方が質問をされたので、話は聞いておりましたが、こんなにすごい状況になっているのにはびっくり。やっぱり人間が大規模に地形を変えていくことは自然に対する負荷が大きすぎると思いました。(おととい案内していただいた方は「ダム推進」の方が多かったようです。人工的・大規模に地形を変えるということでは、ダム建設も同じなのではないかと私は思うのですが…)
 土地を借りて耕作する方とは現在対策を巡って話し合い中だそうですが、お一人の方と話がこじれているとか。「市民の関心が集まらないと解決しないだろう。もっと町の人に現状を知ってほしい」とは案内をしていただいた方の弁。
 とのことですので、今日は取り急ぎ写真と概要を書きました。詳しく知りたい方はメールを下さい。


10月1日(月)


 昨日は衣川村の太平洋戦史館へ行きましたが、ここの代表の岩渕宣輝さんはすごい人でした。ニューギニアでの遺骨収集を続けている方で(お父さんがそこで戦死なさっているそうです)「日本は死者の人権が軽視されている」と言っていたのが心に残りました。まだニューギニアには沢山の遺骨が野ざらしになっているそうです。また、日本政府が慰霊碑を建てたのは良いのですが、その後の管理をせず、ニューギニアの方がボランティアで管理しているとか。
 夏には靖国神社の参拝問題であれほどの大騒ぎをしたわりには戦死者に冷たい仕打ちをしていると思うのは私だけでしょうか。
 前後しますが先月の26日に盛岡女性の会が主催したDVについての講演会に行きました。これもよかったですよー。講師の加藤ようこ氏(米・マサチューセッツ在住。名刺をもらったのですがアルファベッド表示で漢字が解りません)のヴァイタリティに感激。おまけにとてもおおらかで優しい。お嬢さんとお孫さんをDVによって亡くされたことをきっかけに運動を始めたそうですが、現在はDV被害者の救済と共に加害者の教育に力を尽くしている方です。
 肉親を亡くした悲しみや悔しさを復讐心にするのではなく、昇華させて活動しているお二方に頭が下がりました。


9月20日(木)


 昨日あたりから、新種のウィルスが大流行しているんですって?連れ合いの話では感染したホームページを見るとうつるとか。一応ここはまだ大丈夫だと思いますが、こういった時期に、感染の危険を顧みずのぞきに来てくれてありがとうございます。
 前回の話題は止めておきます。ただ、私のように感じる人が少ないわけではないと気付きました。特に日本では。トップページのトピックスの所に関連リンクを入れておきましたので見てください。
 予定では昨日、カラーがはずれるはずでした。それがなんと、まだ完全に骨がくっついていないのだそうです。あと最低一ヶ月はお風呂と眠る時以外は付けていなければならない事になってしまいました。
 ガーーン!ガーーン!ガーーン!(『巨人の星』に類似シーンあり)
 まぁ、私が勝手に3ヶ月たったら必ずはずせると思いこんでいたのだけれども。まだまだ運転は出来そうにありません。車も、バイクも、自転車も。もう、観念して最近はただ黙々と歩いています。リハビリをかねて、ほぼ毎日、市役所から自宅まで40分かけて歩きます。なんと2週間で苦にならなくなりました。怖い顔をして歩いているかもしれませんが、ただ疲れているだけですので、見かけたら声をかけてください。(ああ…でもカラーは慣れない。ゴールデンウィーク明けからずーっとやっているけど慣れない。肩がこるんですよね)
 市議会は今日総括質議が終わって、残りは委員会と採決だけになりました。議案書だけ見ても訳が分からないので勉強しなくてはなりません。


9月15日(土)


 戦争になりそうです。やるせなく、暗い気持ちでいます。
 貿易センタービルには託児所があったそうで、子どもの犠牲者も沢山出たそうです。昨日の新聞に書いてありました。パレスチナでも子どもが沢山死んでいます。湾岸戦争でもイラクの子ども達が犠牲になりました。今回、戦争になって、また子ども達が死んでいくのでしょうか。少なくとも彼等には何の咎も無かったと思うのですが。
 昨年の9月に『青少年規制に反対する』という主旨の発言や某新聞に寄稿した『青少年対策法案に異議あり』という文章(トピックスの索引『こどもたち』の項にあります)を書く際に、資料として『戦後日本の殺人の動向』という論文を読みました。この論文の中に『殺人率は生きる見込みの小さい明日なき社会で高く、長寿社会で低くなっている』という考察があります。私は「ホントにそうだよね」とかなり納得しました。
 未来が思い描ける人々は、どんなにそそのかされても決して『カミカゼ攻撃』という手段は取らないと思います。最近の自爆テロの多さは、いかに彼等が追いつめられているか、現実に絶望しているかを示すものなのでしょう。
 パレスチナ問題の解決がなければ根本的な解決は決して訪れないと思います。
 日本がしなければならない事はパレスチナ問題の解決に心血を注ぐことだと思います。
 …とにかくここのところ悲観的です。


9月10日(月)


 『簗川ダムを考える市民の集い』で県に提出していた質問状の回答を今日いただきました。(回答の内容は『トピックス』の所にあります。読んでください)
 回答を読んで「まずダムを造ることが前提、っていう風だなぁ」と感じました。
 欧米では以前造ったダムを破壊して元々あった河川を復元しようと努めていたり、「川はそもそも氾濫するものである」という考えの基に河川敷を広く改修したりしています。やっぱり時代の流れとしてはそういう方向に行くと思うんですよね。
 大体、こんなに不景気なのに何で670億もかけてダムなんでしょう。それだけのお金があるなら雇用対策に使って欲しいと私は思います。(もし議員を失業したら、バイトででも良いからまた雇ってもらおうと思っていたアイワ岩手が閉鎖されるなんて!大ショックです。元同僚の方でこれを読んでくださっている方はいらっしゃいますか。もしいたらメールをください)

 

9月6日(木)


 明日から9月議会が始まります。一般質問の原稿の提出期限が明日なのに、まだ出来上がっていません。それなのに「つれづれ日記」を書いて逃避しているのです。データは挙がっているのですが、まとめ方がどうも決まらなくて…もう中年なのにいつも議会の度に「徹夜もどき」をしています。

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