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2008年3月定例会 一般質問 |
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2008.3.6 いせ志穂 音声の形式はmp3 |
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音声 質問 答弁 | |||
始めに行政改革の方針について伺います。 |
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次に岩手競馬についてお聞きいたします。 1月18日、岩手競馬の民間委託拡大に関する説明会と現地視察が開かれたとのことです。 県内外から14社の企業が参加したとのこと。まず、この説明会の状況と、参加した企業について、会社名・業種・反応をお教えください。 昨年度末、岩手競馬の存続は市民の大きな関心事項でした。330億円もの融資を構成団体が行ったことは、現在でも、必ずしも多くの市民の納得を得られていないと思います。 今年度の売り上げも伸びず、構成団体の融資を回収する目処は全く立っていない現状だからです。今年度は収支均衡を存廃基準にし、売り上げに合わせてコストカットを行うという手法で乗り切りましたが、この方法はいつまでも続けられるものではありません。売り上げを伸ばしていくために何を行うのか、谷藤市長は競馬事業の行方を心配している数多くの市民に、今後の競馬事業経営の方向性を説明する責任があるはずです。お考えをお聞かせください。 県競馬組合は2009年度から業務の包括的な民間委託拡大を検討していますが、どのような形での委託を想定しているのか内容についてお知らせください。特に民間委託することによる効果を説明していただけたらと思います。 今後、3月3日〜7日には委託に関する資格審査が行われ、24日〜31日に企画提案を受け付ける予定ですが、どのような提案が行われるのか、その方向性を解る範囲でお教えください。 市長が市民に対して説明をしなければならないことが、もう一つあります。いわて競馬の経営破綻の原因究明と責任の所在を明らかにすることです。 県競馬組合の経営を第三者的立場で点検するために作られた「県競馬組合事業運営監視委員会」が、昨年8月に提出した「岩手県競馬組合の経営悪化及び累積債務拡大についての検証に関する報告書」の結論によれば、「競馬組合の事業運営の手続きや内容に、「明らかに法令に違反するもの」や「著しく合理性を欠くもの」と認められるような事案はなかったが、新盛岡競馬場建設などの施設整備を通じて事業規模を拡大させ、平成12年度決算で実質収支に歳入不足を生じ、その後も赤字を累積させて、330億円の構成団体融資を受けるに至った経過からも明らかなとおり、競馬組合の経営が、その時々の情勢の変化に適切に対応できていなかったものであり、このことについては、競馬組合はもとより、組合議会や構成団体を含めて、十分に反省すべき」と指摘しています。 この報告を受けて、谷藤市長にはもう一歩踏み込んだご説明をいただきたいと思います。 監視委員会が指摘するような結果になってしまったのは、競馬組合の組織形態から生まれたものなのか、それとも当時の実質的なトップの判断ミスなのか、それとも何か他の要因があるのか、お聞かせください。 私は、岩手競馬問題は「消えた年金」や「天下り法人による道路特定財源の無駄遣い」と本質的に同じ構造をもっていると考えてきました。昨年の3月議会でもお話しいたしましたが、競馬組合の事業収入は90年代に200億円近く減っているのにも関わらず、たった4年間しか勤めていない常勤の副管理者に1千万円を超える退職金を支払っています。 自分の懐が痛まないから、この様なことがまかり通ってきたのではないでしょうか。競馬問題の責任をうやむやにしてしまえば、市民は公務員に対してぬぐい去れない不信感を持つことになります。これは、まじめに仕事をしている市職員の障害となりかねません。市民との協働を広げていくことにも大きな影を落とすことになるでしょう。昨年末、自民党の若手議員が福田首相に対して、税金の浪費などを行った公務員に対して私財により弁償させることを視野に入れた、公務員個人に対する損害賠償請求制度を創設する様、提言を行ったそうです。私はこの制度が公務員のみならず、外郭団体に勤務する準公務員的な職員にも適用される制度として創設されることを切に願っています。市民の信頼を取り戻すために、盛岡市の行政職のトップである谷藤市長にもこの制度の設立にご尽力いただきたいと思いますが、お考えをお聞かせください。 |
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次にインフラ施策についてお聞きします。 2月10日「盛岡のまちづくりと都市交通を考えるシンポジウム」で森雅志富山市長が、新型路面電車LRTの導入を初めとする富山市の交通施策について講演されました。 富山市ではコンパクトシティの形成に向けて、一貫した交通施策、居住施策が行われております。すでに行っているまちなか居住推進事業に加えて、郊外で住み替えを希望している人たちへの斡旋を行う施策にも取り組み始めたとのことでした。 このシンポジウムには谷藤市長もいらしておられましたが、まず森市長の講演についての感想をお聞かせください。 富山市の施策が優れているのは、森市長が10年後、20年後のビジョンを示しているからです。交通施策・居住施策とも、コンパクトシティ形成に寄与する方向で組み立てられており、その姿勢は一貫しています。 それに加えて、平坦であるが故に都市が拡散しやすい富山市の地形や持ち家率日本一という市民気質など、コンパクトシティ形成には不利な条件があるにも関わらず、それに屈することなくチャレンジする市長の姿勢に市の内外から大きな賛辞が寄せられているものだと考えます。 私は2006年の6月、並びに12月議会に、財政が縮小していく現状から考えると、すでにインフラ整備が充実している地域に居住を誘導する様な政策をとるべきであること、特に12月議会では富山市のまちなか居住推進事業も例にあげて、お話しをいたしました。 また、松園での居住者減少から、郊外団地の住み替え施策を検討すべきとご提案を差し上げました。その時点ではあまり良いご答弁はいただけなかったと記憶しておりますが、その話をもう一度したいと思います。 1960年代から80年代までの間に、つまり松園や湯沢、山岸方面など郊外型の大規模宅地開発が行われた時期に、中心市街地では地域別人口が激減しています。多分、郊外の一戸建に移り住んだ人がたくさんいたのでしょう。それから20年以上経過した現在、郊外での地域別人口は減少しています。勿論、盛岡市全体の人口が減少していますから、地域別人口が減少するのは当たり前ですが、自然減以外にも、中心市街地のマンションの増加や盛南開発が影響しているように思えて仕方がないのです。 私が考えているように、新たな場所に利便性が高くきれいな街を作れば作るほど、古い街から新しい街への大規模な地域別人口の移動があるとすれば、それは旧人口集中地区の整備されたインフラを次から次へと手放しながら宅地開発をし続けていく『焼き畑居住』とでも言うべきまちづくりにつながりかねないと感じます。 都市整備部からは何度も「いたずらに南側に街をのばしていくことではない」というお答えをいただいていますが、私はすでに盛岡市の宅地は供給過剰に陥っており、今以上の開発は行財政改革の方針で言うところの、いわゆる『身の丈を越えた公共事業』にあたるのではないかと懸念しています。数十年先の盛岡を考えた場合、それは良いことなのでしょうか。 都市の拡散は不経済です。最近の盛岡市の施策である、都市計画道路の見直しや交通総合政策、中心市街地活性化の方向性などから考えると、基本的には盛岡市もコンパクトシティを目指しているのかな、と思う時もあるのですが、それは富山市の様な明確な方向転換を感じさせるものではありません。 時期・地域ともにどこまでの開発を行うつもりであるのか、お考えをお聞かせください。 |
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次に文化・芸術施策についてお聞きします。 まず、歴史的建造物の保存・活用についてお聞きします。 年末年始にかけて、青山町では森永旧事務所の解体について、様々な動きがあり、私もその一部に関わりました。この議場にも一緒に発言をしてくださった方が数名いらっしゃいます。その方々も含めて、時間がなかったにも関わらず、なにがしかの行動を行ってくださった方々に敬意を表し、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。 あの建物は建築から100年ですから、旧観武ヶ原方面で暮らす人たちにとって、馬頭踏切交差点の前に建っているのが当たり前の風景でしたので、残して欲しいと直接声を上げた人ばかりではなく、解体に対して一抹の寂しさを感じた人はそれなりにいらっしゃったと思います。 森永旧事務所は全国近代化遺産活用連絡協議会全国大会の際に見学地となったこともあり、同協議会の遺産リストにも上げられているものですが、解体前に盛岡市が価値を評価した経緯はなかったと記憶しております。しかし、市は数回に渡り報道各社に対して「残す価値がない」と発言されています。 私の勘違いだったでしょうか。 2007年以前の森永旧事務所に関する調査についてお伝えいただき、市が歴史的建造物として価値がないと判断した根拠をお示しください。また、その様な評価であれば、何故全近の見学地となり得たのでしょうか?そのいきさつを教えてください。 盛岡は同規模の類似都市と比べると、モダンな香りの漂う街だと私は思っています。これは戦禍によってまちなみが破壊されることが少なかったからなのではないかと思うのです。 建物の歴史的価値云々はもとより、その建物があることで作り出される景観は、私たちの暮らしや文化に大きな影響を与えます。それは景観法を引用するほどもない自明のことです。だからこそ、今回のような場合は地域住民に一言あるべきだったのではないでしょうか。 報道をみた後、いく人もの人から「被覆練兵場に関連した活用が出来るのではないか」という声を聞きました。解体にあたって、盛岡市は方針を決定する前に地域の人たちからの意見徴取を行ったのでしょうか。 森永から事務所の解体についての打診があったのはいつの事で、その後市がこの件について行った事を具体的に教えてください。 私の見方が間違っているのかも知れませんが、今回のいきさつを思い出すにつけ、盛岡市は何らかの理由で当初から森永旧事務所は一切の保存を行わないと決定していた様に感じます。 文化を扱う場合、その姿勢ははなはだ疑問に感じます。 たとえ全面保存が無理であったとしても、移設や一部保存などの方法がある場合、それを追求すべきではないのでしょうか。そもそも、その様なケースを検討したのでしょうか。 歴史的建造物は、無策のままではすべてなくなってしまう可能性があります。 歴史的建造物の解体にあたっては、調査を行った後に価値を判断するなどのルールが必要であり、地域に相談した上で活用策があるものは残す努力を積極的に行うべきだと考えますが、いかがでしょうか。 次に芸術振興についてお聞きします。 先日、ある人に「芸術振興はお金にならない」と言われました。確かにそうかも知れないと思い当たる節はあります。 しかし、芸術は人の暮らしに必要不可欠なものではないかとも思うのです。そうでなければ、衣食住に直接関係がないのにも関わらず、人が太古の昔から絵を描き、詩を歌い、踊りを踊ってきた理由が説明できません。 芸術はその表現と鑑賞の方法さえ解れば、お金がなくとも楽しめるもので、これからの時代に公共の福祉を実現するためには、もっと力を入れてしかるべき課題だと思います。 芸術作品を楽しむには、ちょっとしたコツが必要な場合があります。それは一口では言えないことで、たくさん見たり聞いたり、実際に自分でやってみる中で培われるものです。 2005年3月に行った質問の中で、第一生命ホールの事業委託を行っているNPO、トリトンアーツネットワークのアウトリーチやロビーコンサートなど、音楽を利用したコミュニティ活動を紹介し、芸術活動に触れる機会を増やすことや身近に取り組めるきっかけづくりをすることで、芸術活動の裾野を広げる必要性をお話しいたしました。 盛岡市でも様々な方々がこのような活動に取り組まれておられますが、もっと広がっても良い活動です。岩手大学に芸術を教えるコースもあることですし、盛岡ブランド施策の中謳われているアーティストレジデンスをさらに推奨し、その方々にご協力いただければ良いと思うのですが、現在までどのような取り組みを行ってきたかお答えください。 「最近、公共ホールに元気がない」という声を先日お聞きしました。 合併によって盛岡市は、県民会館も入れれば大きな公共ホールを5つも抱え込むことになり、結果として中央から持ってくる催しは供給過剰気とのことです。 そのせいで、多少の赤字が出ても仕方がないという風潮が生まれ、勢いが鈍ってきているのではないかとのことでした。 これは主に盛岡市文化振興事業団に対しての感想だと思うのですが、私は同事業団は興行に力点を置くのではなく、芸術表現のワークショップ活動などの育成事業や表現者への援助、指導者の育成の方向に力を注いで欲しいと考えています。 昨年、私の所属する市民団体では盛岡劇場を会場にして、樋口強さんというがん患者を励ます活動を行っている方の落語会を開催いたしました。その際に事業団の舞台スタッフにお世話になりましたが、彼らは舞台を作る上で大変なプロフェッショナルであると感じました。 あのような方々の集団であれば、事業団の主たる活動が興行であってはもったいない、ぜひ、地域の文化を育てていく担い手になっていただきたいと思います。 実際に盛岡劇場では演劇ワークショップなども行っているとのことですが、事業団の活動は、興業と育成、一体どちらにウェイトを置いたものなのでしょうか。職員の活動や予算の使い方などを根拠に、考え方を教えてください。 キャラホールを利用して行われている少年少女合唱団の活動についてお聞します。 この合唱団は都南公民館の活動として続いてきたもので、大変高い評価を受けていると聞きました。実際、先日行われた今年度の発表会「オペラ・走れメロス」もチケットが早い段階で完売し、私は入手することが出来ませんでした。 ただ不思議なのは、この合唱団の活動形態です。 4月から12月までは都南公民館の自主事業で、コンサートは文化振興事業団の催しであるのは何故でしょうか。事業費のやりくりに係る事で指導者などに変更はないと聞いていますが、芸術活動を育てるという観点に立てば、文化振興事業団も合唱の指導者や公民館職員とともに4月から合唱団の活動に参加すべきなのではないでしょうか。 単純に考えれば、共催にすればすむ話のような気がするのですが、いかがお考えでしょうか。 芸術施策に係る質問の最後に、旧橋本美術館から寄贈された絵画の修復についてお聞きします。 100点を超える絵画の寄贈を受けたけれどそのほとんどに修復が必要で公開することが出来ず、それらの絵画は市民文化ホールで眠っているとお聞きしました。 以前、教育委員会からそのリストをいただきましたが、バルビゾン派やら印象派やらのビッグネームの絵が入っており大変驚きました。 教育委員会では毎年修復のための予算要望を行っていますが、財政的な理由で認められず、今に至っているとのことです。巨匠の絵といえども多分、小品なのだろう思いますが「このままではそれらの作品が永久に市民の前に公開されることはないのではないか」としのびなく思います。 もし、予算が付く目処がないならば、絵画修復ファンドを市民に呼びかけるなどの手段を試みた方が、公開の可能性が高まるという意味でも、芸術文化の継承を行政任せにしない、人ごとにしないという意味でも、より有効だと思うのですが、お考えをお聞かせください。 |
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最後に来年度から実施される岩手県がん対策推進計画に関連してお聞きします。 国のがん対策基本法を受けて、岩手でも来年度からの実施予定で地域計画の策定作業が進んでいます。 県のパブリックコメントで示された素案を見る限りにおいては、盛岡市が関わっていくのは、生活習慣の指導や検診部分だと思いますが、推進計画に対してどのような取り組みを行うつもりなのかお知らせ願います。 病気になった時、先輩患者の助言は大きな力になります。 島根県では、すべてのがん診療拠点病院と地域の公民館など十三カ所に「がん患者サロン」を設置し、効果を上げていると聞きます。新しく設置される盛岡保健所の健康相談にこのような取り組み行っていただきたいのですが、ご検討いただけませんでしょうか。 今回の推進計画には緩和医療が大きく取り上げられていますが、緩和医療自体が今のところ診療科として認められておらず、心の痛み等への対処をも含めた緩和ケアとなれば、医療関係者にとってもポピュラーであるとは言い難い状況です。 以前、市立病院に緩和ケア施設の設置を要望した際、同病院では実質的に緩和的医療を行っているとのお答えでした。県計画ではすべての医師に緩和医療研修を行うこととなっておりますが、市立病院では以前から取り組んでいるとのことですので、ぜひ、医師を先進病院へ実施研修に行かせていただきたいと思います。いかがでしょうか。 また、緩和ケア、特に余命宣告後のターミナルケアにおいては、患者の生活の質を向上させることが大きな柱となりますが、緩和医療が進んでいるとは言い難い日本の医療において、患者さんが何を不安に思い、どういう事をしてもらいたいと考え、その実現のために何が必要なのか、という点が整理されているわけではありません。 病院の相談業務を通じて患者さんの声を蓄積し、総体として「緩和ケアはどうあるべきか」ということを考えられるような体制をとっていただきたいのですが、それは可能でしょうか。不可能であれば何が障害になっているのか教えてください。 以上で私の一般質問を終わります。 |
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