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2000年9月議会特別発言

青少年の健全育成に関する法律の制定を求める意見書の
採択に反対する

青少年の健全育成に関する法律の制定を求める意見書の採択に反対の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、はじめにお断りしたいのは私も子供たちを取り巻く環境が決してすばらしいものだとは思っておりません。私にも年端のいかぬ子供がおりますので提案をされた皆様の趣旨はよく解ります。また、Vチップの導入については検討するべきだとも思います。

私が反対をするのは、今回出されているような抽象的な意見書では、法制化の過程で私たちの善意がねじ曲げられ、期待していたものとは全く異なった法律になってしまう可能性をはらんでいると思うからです。

政府が最近うち出してきている子供に対する政策は、私にとって支持できないばかりか、ある一種の危険な匂いを感じさせます。森首相が熱望しているという教育基本法の改悪然り、少年法の改悪然り、教育改革国民会議が提案している奉仕活動の義務化然りです。政府はこれらの改悪が必要と主張する根拠として、青少年の道徳観の欠如を問題にしています。「青少年の非行問題、凶悪犯罪が深刻な状況になっている」と宣伝をしております。しかし本当にそうなのか、総合的に研究なさっているのか私は大いに疑問に思うのです。日本の犯罪学は世界的に大変遅れていると言われております。例えば日本の殺人に関して体系的に書かれた専門書は1963年以降、皆無です。研究機関にしても警察庁管轄の科学警察研究所があるだけで、警察や司法機関と無関係の研究者は、一次資料にアクセスすらできない状況です。現時点で、権力とは独立したところで自由に犯罪研究を行う土壌が全くないのです。

青少年の犯罪について、最新の研究から一つ例を上げたいと思います。今年の七月に進化心理学者長谷川寿一・真理子両氏が発表した論文「戦後日本の殺人の動向」によれば、1994年の40代50代の男性による人口100万人あたりの殺人率は1955年当時と比べてほぼ半減にとどまっているのに対して、20代前半の男性による殺人率は13分の1、10代後半の殺人率は10分の1まで激減しているとのことです。世界的にみれば男性の殺人率はほとんど常に15才前後から上がりはじめ、20代の前半に鋭いピークを見せ、あとは緩やかに下がります。ところが日本の若年層においてはこのユニバーサルなパターンが崩れ、1990年代に入ると40代や50代の男性の殺人率の方が20代よりむしろ高くなってしまっています。日本の若者はこの40年間で世界一殺人を犯さない若者になっているのです。

このように青少年の殺人は大幅に減っているのにも関わらず、数件の凶悪犯罪を取り上げてまるで青少年が危険であるかのようにいいつらねているようにしか見えない現状に私は大きな不信感を抱きます。青少年層の殺人の大幅な減少は、戦後日本が創り出したシステムと大幅に関わっており、いわゆる戦後民主主義の最大の成果の一つであると考えます。政府が繰り広げている「青少年犯罪が凶悪化しているキャンペーン」は、シャウブ税制・平和憲法・教育基本法など戦後民主主義の骨幹をおとしめる一端をになっており、国民の倫理観を国家が決定しようという意図があるような気がしてならないのです。

倫理とは法律で規定できるものではありません。それは子供の頃からの、家庭や学校、地域の中で多くの人にふれあい、書籍をはじめとする芸術作品に接し、実人生において数々の経験を積む中で自分自身がはぐくみ育てるものです。ですから倫理観というものは人それぞれ少しずつ異なります。ひとりひとりが少しずつ違うが故に、次の世代の子供たちが自分たちの倫理観を育てる際にまた、参考にされていくものだと私は考えます。倫理の押しつけ・強制がどのような悲劇をもたらすかは、戦前の日本軍国主義体制やナチスドイツの例を出すまでもありません。

また、法制化は逆効果の危険性もあります。規制を強めれば強めるほど露骨な性・暴力描写を行っている媒体はアンダーグラウンドのものになっていき、希少価値が出ます。20未満の飲酒や喫煙のきっかけの多くが、同年齢の集団と自分は違う事を誇示するために、平たく言えばいきがって始めるように、規制されたものを見ることがある種のステイタスになる可能性を否定できないのではないでしょうか。子供たちにとって一番良いことは、法規制による有害環境の排除ではなく、子供たち自身が人権を蹂躙するような性描写や暴力描写を退ける力を持つことであり、それは大人が人権の尊重と言う観点から、子供たちと対等に性や暴力について語り合うところからしか生まれ得ないと私は考えます。そういう意味合いも含めて、私はこの間CAPの導入を提唱してまいりました。法規制よりも実害を説明し、自主規制させた方が成果が上がるというのは、青少年の喫煙問題で実証済みの事実です。

私は1998年の12月に出されました学習指導要領の第一章第一「教育課程編成の一般方針」の第一項を大変評価しております。ここで提唱される「生きる力」とは「自分で考え判断し行動し社会をより良きものに変えていく力」であると私は理解しております。法規制によらずとも、人権を蹂躙するような情報に対してはその発信元に抗議し、自主規制をさせることができます需要をなくしていくことによって俗悪な表現を減らしていくことができます。私はそれこそが根本的な解決につながると思っていますし、そういった行動を見せていくことこそが、彼らに「生きる力」をまなばせていくことに他ならないと確信しております。以上の理由からこの発議案の採択に反対します。 


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