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 青少年対策法案
 誰が、どんな基準で、規制するの?!


青少年対策法案に異議

 「青少年社会環境対策基本法案」が2月にも国会に上程されようとしている。同法案の内容は「性的・暴力的な逸脱行為、残虐な行為を誘発・助長する等青少年の健全な育成を妨害するおそれがある」と判断した「商品・役務(サービス)」を提供している事業者に指導、助言、勧告し、従わなければその名を公表するというものだ。「何をもって有害とするのかは人により様々だ」と私は考えるが、この法案のもとでは、その判断は内閣総理大臣と都道府県知事に任せられる。盛岡市でも昨年の9月議会で「青少年の健全育成に関する法律の制定を求める意見書」が提出され、賛成33、反対1で採択された。この時、同意見書に唯一反対した立場から、この法案について意見を述べたいと思う。(以下、子供の権利条約の規定に沿って18歳未満の人を「子供」と記す。)



観たぞ。話題の「バトルロワイヤル」

 昨年11月、衆院文教委員会で民主党の石井紘基代議士が「青少年に悪影響を及ぼす」とやり玉に挙げた映画「バトルロワイヤル」を元旦早々観に行った。そもそもこんな大騒ぎになる前から観に行こうと思っていた映画だった。原作を読んで気に入っていたからだ。この原作本を私に紹介してくれたのは友人である。「うちの息子達が(確か17歳と20歳だったはず)伊勢さんに読ませたいって。伊勢さんは子ども達が殺し合う話だからって、頭ごなしに悪いって決めつけないからって。私も読んだけど、面白いよ」と言って貸してくれた。
 物語の舞台は完全失業率15%、政情不安定なアジアのとある国。不登校児童数80万人に達し国家は「新世紀教育法」(通称バトルロワイヤル法)を制定する。これはあらゆる困難に打ち勝つ青少年を育成するために、全国の中学3年生の1クラスを無作為に抽出し、全員に武器を与え無人島で最後の1人になるまで殺し合いをさせるというもの。物語は選ばれてしまった3年B組の生徒がそれぞれどう考え、どのように行動したかが描かれる。だから殺人シーンがあふれるほど出てくる。しかし映画を見終わってみれば、むしろ命の重さや人と人が信頼し合うことの大切さなどの方が心に残る。少なくとも私は非常に道徳的な感じを受けた。映画公開後に出てきた映評・書評を読んでも私と同様に感じた人は少なくはなかった様だ。
 この映画を見て、前述の石井代議士は「退屈で有害」と述べた。自民党の森岡正宏代議士は「この社会を否定し、反社会性の強い映画。表現の自由だといって、何でもやっていいのか」と発言。だいぶ私と感想が違う。
 私がここで言いたいことは「私の感想が正しくて石井氏や森岡氏は何も解っちゃいない」ということではない。一人一人の人生観や世界観は違って当然だから、一つの映画を見ても人によって感じることは全然違うということなのだ。「青少年に何が有害か」という客観的基準をどうやって作るのだろう。法案では「有害」の判断は首相と知事が行うらしいが、ちょっと考えても森首相と田中長野県知事の世界観・倫理観はだいぶ違うと思うが、そういうのはどう整合性を取るつもりなのだろうか。



メディアを規制すれば少年犯罪は無くなるのか

 私が知る限りにおいては、子供の環境浄化に関する法律の制定を求める運動は1950年代から始まっている。記憶に新しいところでは90年代初頭の「有害コミック」をめぐる騒動だ。この時は「過激な性表現のマンガが氾濫することで、子供の性の乱れが起きている」と言われた。そして今度は「ショッキングな少年犯罪が起きているのは、暴力的なゲーム、テレビなどのせいだ」と言っている。しかし、以前も今回もこれらの発言の根拠は示されていない。
 この種の問題に関心がある方はぜひ一読をおすすめするテキストを紹介したい。岩波書店「科学」2000年7月号、長谷川寿一・長谷川眞理子両氏による「戦後日本の殺人の動向」である。子細は省略するが両氏の研究によれば、現代日本の男性による殺人をもっとも特徴づけるのは、中高年男性の殺人率の高さと青年期の若者の殺人率の極端な低下であるという。世界各国の統計を見ても、男性が繁殖活動に入る10代後半から20代前半という年頃に殺人が急増する。日本でも1955年には世界と共通する結果であった。しかし、1995年になると40代50代男性の殺人率の方が20代よりも高くなっている。この様な国は著者の知る限りどこにも存在しないそうだ。その理由は戦後の日本の社会のあり方にあると結論づけている。終身雇用制、経済の安定成長の中では、現在リスクを冒すとそれを失う可能性が大きくなる。つまり、将来を見通す期待予期のレンジが長くなったことと関連していると結論づけている。もし、この推測が正しいのなら(私はかなりの高率で当たっているように思うのだが)終身雇用制度が崩れ先が見えない時代、努力しても格差が広がっていくいわゆる「新階級社会」日本では、いかにメディアを規制しようとも犯罪は増え続ける事になる。



倫理観は他者との関わりの中で育つ

 先の長谷川両氏は他のデーターを使って「殺人率は生きる見込みの小さい明日なき社会で高く、長寿社会で低くなっている」という研究結果も出している。もし、政府が本当に犯罪を減らそうとするのなら「青少年社会環境対策基本法」なんてものを検討する前に、経済的・社会的格差を是正するための政策を早急に執るべきである。
 「バトルロワイヤル」で描かれている社会では、国家がゆがんだ倫理観を子ども達に押しつけていた。振り返れば旧日本軍国主義とはそういうものだったのではないか。「青少年社会環境対策基本法」にはそれと同じ匂いがする。
そもそも倫理観とは各々の経験を通してひとり一人が自ら育てるものだと思う。だから子供達に必要なのは、様々な考えに出会うことだ。そして人権侵害メディアには、むしろ子供達と一緒に抗議をすべきだろう。大人の責任としてやらねばならないことは、制限をして子どもの世界を狭めることではなく、参加をさせて一緒に社会を創っていくことだと私は考える。  
新生第599号より

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