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「フランスはなぜ燃えているのか」転載

「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
E-mail:freespeech21@yahoo.co.jp
blog:http://takeyama.jugem.cc/

※転送・転載自由です。ただ、転送・転載される時には、
登録申し込み先(↓)も必ず合わせて併記してください。
http://www.emaga.com/info/7777.html
▼フランス郊外の暴動について、すごく興味深い記事を、読者から教えて頂いた。

タイトルは、「フランスはなぜ燃えているのか」。
翻訳を掲載している「RUR55 Outlet」
http://www.k2.dion.ne.jp/~rur55/home.htmlの快諾をいただき、転載しておく。超長文です。

(↓本文の説明↓)

フランス郊外の移民スラムの若者の暴動は、アルジェリア独立戦争を彷彿とさせるような非常事態宣言と外出禁止令の発動によって今のところは沈静化しているようですが、今後の展開は予想できません。

ロバート・フィスクは、今回の暴動とアルジェリア戦争との継続性を指摘して、被害に遭っている地域はじつはフランス人下層中産階級の住む地域で、かつての「ピエ・ノワール」(アルジェリア生まれのヨーロッパ移民の子孫)が多く移り住んでいるところであり、彼らの車にアラブ系移民の子孫たちが放火しているととらえることもできると言っています。

http://www.k2.dion.ne.jp/~rur55/home.html

(このインタビューの後で映画「アルジェの戦い」の一部も観ることができるので、動画がお勧め)

それはともかく、ダグ・アイルランドのブログに掲載された下の記事は、わりと早め時期に暴動の背景にある北アフリカからのアラブ系移民の二世、三世が置かれている状況を具体的に伝えていたので参考になりました。

日本の新聞に書かれているフランスの「同化」政策の失敗というのは、「同化」の努力をしたのに失敗したってことではなく、「同化」のための努力はなにもしないで、高層ビルの郊外団地に移民を隔離して放置したことの結果なのですね。

(↑本文の説明ここまで↑)

(↓本文ここから↓)

フランスはなぜ燃えているのか

WHY IS FRANCE BURNING?
by Doug Ireland; DIRELAND; November 06, 2005

▼11月5日土曜日、10日目を迎えた青少年による暴動はフランス全土に火の手を伸ばす勢いで、パリ郊外の低所得者スラムではじまった今回の暴動では最悪の夜となった。一晩のうちに1295台の車両(個人用の車もバスもふくめ)が放火され、その数は前日の897台から一気に増加した。

郊外スラムではじまった暴動が、はじめてパリの中心地区にも拡大し、Le Marais (パリで最も有名なゲイの集まる高級住宅街)や近くのRepublique広場周辺、ブルジョワ的な第17区(18区の荒廃したスラム Goutte d'Orは目と鼻の先だ)などで40台ほどの車両が放火された。

▼わたしはフランスに10年近く住み、暴動の発端となった都市スラムにも何度も取材で足を踏み入れているので、いま津波のようにフランスを呑み込もうとしている若者の反乱にも驚きは感じなかった。

これは30年にわたって政府が放置してきたことが生んだ結果なのだ。フランスの政治家たちが、右派であれ左派であれ、自国のムスリムや黒人たちを本流のフランス経済や文化に統合するための真剣な努力をまったく怠ってきたことのつけがまわってきた。

そしてまた、スラムの若者たちが日々の暮らしの中で直面する、根の深い、斬りつけるような、気も萎えしぼむ人種偏見のせいでもある──警官から受ける扱いにも、まともな仕事や住居を探そうとしたときにも、彼らはそれを体験する。

▼フランスのこの深刻な危機を理解するために大切なのは、一歩離れたところから事態をながめることだろう。怨念の膿みがたまりつづけ、ついに炎を上げて噴出したこれらのスラムは、実のところフランスの国家的な産業政策の一環としてつくり出されたことを思い出そう。

▼今日のフランスでは移民の子孫(おもにアラブ系と黒人)が国民にしめる割合がかなり高い(全人口の一割)。その原因は政府が第二次世界大戦後の復興と経済拡大による好景気の時代に採用した産業政策にある。

栄光の30年les trentes glorieuses"とフランス人が呼ぶこの期間には、フランスの海外植民地から作業員や職工や雑役夫などを雇い入れ、フランス人がやりたがらない仕事につかせる政策がとられた。フランス経済を拡大させるためには、そうした移民労働者の存在が不可欠だった。

二度の世界大戦で多くの成年男子が犠牲になったフランスでは男性労働力が不足しており、また生粋のフランス人の出生率も低下したからだ。おまけに、移民労働者たちはおとなしいだろうから(きわめて政治意識が高いフランス人労働者階級や共産党が率いる労働組合とは違って)ストライキなどしないと期待された.

▼政府と産業界が後押ししたアラブ人労働者の流入(多くは北アフリカから家族を呼び寄せるためせっせと金をためた)を補強したのは、アルジェリア独立後の「ハルキ」たちの流入である。

▼「ハルキ」とは戦後アルジェリアで植民地独立運動がおこったときフランス側についた現地人たちで、彼らの奉仕にもかかわらず、フランスからは酷い扱いをうけた。フランスの占領軍がフランス人植民者とともにアルジェリアから撤退したとき、彼らは恥知らずにもハルキたちを見捨てていった。

置き去りにされたハルキたちは、およそ10万人がアルジェリア民族解放戦線(FLN)によって殺された。おまけに、命拾いしたハルキたちも(多くの場合、彼らを置き去りにせよという命令に個々の軍司令官たちが背いたおかげだ)、フランスにきてみれば言語を絶するような不潔でぎゅうぎゅう詰めの収容所に放り込まれて何年もすごすはめになった。政府の支援政策の恩恵は何ひとつ受けられなかった。

彼らがフランスに捧げた犠牲に報いるには、ずいぶんと結構な仕打ちではないか。曲がりなりにも彼らはこの国の合法的な市民だったというのに。ゲットーのようなスラムに閉じ込められた彼らの子供や孫たちは当然ながら恨みを抱いている。

▼フランスの移民労働者たちは、低所得者を住まわせるゲットーとしての巨大な高層の住宅団地に収容された。"cites"と呼ばれる(アメリカではさしずめ「プロジェクト」)これらの郊外団地は彼らのために特別に建設されたものであり、視界に入ってこないようにフランスの主要な都市密集地帯の郊外に注意深く配置された。

そうすることによって、そこに住まう浅黒い肌の人たちがパリやリヨンやトゥールーズやリールやニースなど白人中心のフランスの中心都市を汚染することを防ごうとしたのだ。これらの都心地は今日、燃え上がる炎に周りを囲まれている。

教育のない労働者階級のアラブ人や黒人たちを住まわせたこれらの郊外団地は彼らを職場に直接送り届けるだけの公共交通手段しか整備されていないことが多い。"peripherique"というパリ周辺の郊外地区に急増する工場で働かせるためだ。だが、ゲットーと都市中心部とのあいだには、ほとんど連絡がない。

▼隔離された高層の人間倉庫である郊外団地は、今では築後30年から50年になり、くたびれはてて、崩れかけた、陰険な場所になっている。壊れたままのエレベーター、冬場にちゃんと機能しない暖房システム、廊下には泥や犬の糞が落ちていて、窓は破れ、商業施設はほとんどない。

生活必需品の買い物はごくわずかで困難なことが多く、青少年向けの娯楽や気晴らしは、たとえあったとしてもひどく不十分なものだった。住居も学校も超過密状態だ。移民たちが持ち込んだムスリム文化では避妊はタブーなのだ。ヒップ・ホップ世代に属し、フランス語で活きのいい独自のラップをつくり出している移民三世でさえも、アラブの男としてコンドームは受けつけない。エイズ感染率がスラムで上昇する一因となっている。

▼12月の第一週はマルシュ・ド・ブールMarche de Beures(ブールはアラブ人を指すスラング)の22周年にあたる。わたしは10万人の行列がパリに到着したときに居合わせた。これは「ワシントン大行進」(1963年マーティン・ルーサー・キング師が率いた仕事と正義を要求する黒人の行進)のフランス=アラブ版だ。

リヨン郊外のゾッとするような巨大高層スラムLes Minguettesからはじまった行進で、カリスマ的な左派のフランス人カソリック・ワーカー牧師クリスチャン・デロルムの助力で組織されたものだ。その中心主題は、他の人たちと同じフランス人として認めてほしいという要求、つまるところ完全な統合への要求であった。

だがフランス系アラブ人の多数にとって現実は1983年からほとんど何も変わっていない。この行進に伴って形成された若いアラブ人による統合促進運動も挫折感と絶望を残して先細りになっていった。

近年それに代わる位置をしめているのがイスラム原理主義で、地元のモスクによって動かされている。このような分離主義的で共同社会的な宗教政治への退行を象徴しているのが、弁舌にたけた扇動者タリク・ラマダンだ。

この哲学教授はフランスのテレビに登場したときの話しぶりは民主的な上面をととのえているが、カセットに納められてフランス系アラブ人ゲットーの若者たちのあいだで飛ぶように売れているアラビア語の演説は、猛烈な原理主義的の強硬論に満ちている

(ラマダンの二枚舌については、詳細な記録がCaroline Fourestというアラビア語のできるジャーナリストが昨年秋にEditions Grassetから出版した"Frere Tariq: discourse,methode et strategie de Tariq Ramadan,"に載っている。その一部はpublished in the weekly l'Expressにも掲載された) 。

だが現在の反乱はイスラム原理主義とはほとんど関係がない。

▼1990に社会党の大統領フランソワ・ミッテランは"cites"に詰め込まれた職のない若者たちの生活を次のように描写した。

▼この若者たちは、どんな希望が持てるというのだろう。彼らは精彩のない界隈に生まれ、醜悪な高層ビルに住み、さらに醜悪な環境に囲まれている。灰色の荒地に建つ灰色の壁に閉じ込められ、灰色の生活を運命付けられているのだ。社会は彼らから目を逸らそうとする。彼らがたまりかねて爆発するまでは。

▼だがミッテランの認識と感動的な言葉は、けっきょく言葉だけにとどまった。彼の都市政策は予算不足で焦点の定まらない失策であり、転移性の悪性腫瘍にバンドエイドを貼ってすませようとするようなものだった。ミッテランの診断から15年後、こうしたスラムの若者たちの救いのない疎外感と「灰色の生活」は一段と悪化し、悪臭を放ちはじめた。

▼過去10日間の若者の反乱に対する保守派政府の対応は、無能で的のはずれたものだった。最初の4日間、シラク大統領とド・ヴィルパン首相Dominique de Villepinは、政府の対応を野心家で誇大妄想気味のニコラ・サルコジ内相の采配にまかせておいた。

サルコジは公然と2007年の大統領選挙でシラクに挑戦する運動を進めており(ヴィルパンが首相に任命されたのも、彼を取り込めば右派がサルコジを大統領候補にするのを防げるという目算からだ)、シラクもヴィルパンもサルコジを嫌悪している。だから彼らは、サルコジには暴動を抑えることはできないだろうと踏んで、わざと放置したのだ。

国内の治安の悪化を強調し「法と秩序」の優先を唱える強硬派デマゴーグとして広い人気を集めてきた「サルコ」(フランスでは、この名で親しまれている)が、この失敗により大統領選に向けての大きな失点を喫することになるだろうと期待していた。

▼サルコジはスラムの若者たちを侮蔑的で人種差別に満ちた言葉で切り捨て、弾圧政策を要求したことによって火にあぶらを注ぐことになった。スラムから"la racaille"を"karcherise"するという「サルコ」の発言が見出を飾った。

アメリカの新聞はこれを、スラムから「社会のクズ」を「一掃」すると訳して報道したが、これではもとのフランス語の持つ途方もなく辛らつで侮辱的なひびきを伝えるにはきわめて不十分だ。

"Karcher" は超圧縮空気で砂や水を吹きつけて表面を洗浄するシステムの有名ブランドで、こびりついた汚れ(ハトの糞のような)を乱暴にこそぎ落とし、ときには表面を痛めてもしかたがないというニュアンスを持っている。

そういう言葉を人間の若者にあてはめて、戦略として唱えることはファシスト的な侮辱であり、こんな言葉が内相の地位にある人物の口から政策として提案されるというのは、実際に口には出さないが「民族浄化」が声高に宣言されたのとあまり変わらない。

その意味するところは警察がむき出しの暴力を行使し、人権などおかまいなしに大胆な力の行使がなされるということだ。英語圏の記者たちに、このフランス語の恐ろしく挑発的で陰険な響きがどれほど伝わっているのだろうか。

"karcherise"を「一掃する」と訳してしまったのでは、サルコが実際に表現した挑発的な暴力性が完全に落ちてしまう。

さらに言えば、"racaille" もフランス語を話す人間にとっては単なる「社会のクズ」というより何倍も侮辱的なニュアンスをもっている。人間以下の、生まれつき性根が悪く、犯罪者で、無用の者という、一言でいってスラムの反抗的な若者たちを侮辱するのにこれ以上ひどい言葉はないというようなものなのだ。

▼反乱がパリ郊外の外に飛び火し、南はマルセイユから北はリールまでに広がると、サルコジは暴動の拡散は「組織的な」ものに違いないと断言した。

だが今朝パリからの電話で話したLe Canard Enchaine の編集者Claude Angeliというフランスの調査報道界の長老が言うには、

「それは本当じゃない。サルコジが人々を不安にさせようとほのめかすような、イスラム主義の原理主義者が組織したということは事実ではない。もちろん近所の子供たちは携帯電話やEメールで警官が向かっているところに警告を出し合い、放火の場所を随時変更している。だが反乱が広がっているのは若者たちが団結意識をもっているからだ。

それはテレビを見ていて芽生えたものだ──彼らはテレビで見たものを真似しているだけだ。彼らはサルコジの挑発的な言葉の標的は自分たちだと感じたのだ。

反乱は自然発生的に広がったものだ。とりわけ、人種差別的な警官の行為が引き起こしたものだ。この若者たちが毎日のようにさらされている警官の人種差別のひどさは、とても信じがたいようなものだ。彼らは逮捕され、管理され、肌が浅黒いというだけで身分証明書をチェックされる。

警官は言葉づかいも乱暴で、彼らを'bougnoules' (アメリカ人が「ターバン頭」"towel-heads"と呼ぶのに似た人種的な侮辱で、もっと響きが悪い)と呼び、「目を伏せろ、目を伏せろ!」と命令する。

まるで彼らには警官の顔を直視する権利がないとでも言わんばかりだ。これは人間並みの扱いの完全な拒絶だ。この子たちが当局から絶縁されたと感じるのも無理はない」。

▼本日付の『リベラシオン』紙 (わたしもかつてコラムを担当していた)には、スラムの若者たちへのインタヴューと、彼らの口から説明された怒りの理由が載せられていた。

同紙によれば、「彼らはほぼ一人残らず"サルコ"を引用した。22歳の学生は、次のように語った"サルコジは自分の発言をぼくらに釈明する責任がある。今起こっていることを見たとき、同じイメージが心に浮かんだ。

サルコジが 〔10月25日にパリ郊外のスラム〕Argenteuilを訪問したとき、頭を上げて叫んだ場面だ。「すっかりみんな退治してやりますよ」──この発言で、みんなキレた。(スラムの住民の)誰に対してもまったく非礼な態度だった」。

13歳の少年は次のように述べている「サルコジをKarcher.にかけてやるのは僕らのほうさ。僕が今晩外出して騒ぎに加わるつもりかって?」彼は笑って「それは秘密さ」と答えた。

28歳の青年は、「誰が放火しているかって?14歳から22歳ぐらいの子供たちですよ。正体はわかりません。覆面をしているし、話もしない。翌日つるんでいることもないですから。でも自分の住むところで面倒を起こすのはやめて欲しい。代わりにデモでもやるか、面倒を起こすならパリの連中のとこに行ってやってほしい。それでも"サルコ"大臣は「おまえらは、だれもかれもみな同じだ」とのたまうのです。

僕にいわせりゃ、そんなこたあないでしょう──僕らは誰もが、それに反論するのだけれど、返ってくるのはやっぱり「おまえらは、みんな同じだ」という言葉です。

政府のそんな対応が、僕らのあいだに共通の意識を植え付けたのです。一種の連帯感です。この子たちは注意を引きたい、自分たちが存在することを知ってもらいたい。彼らが心に思っているのは、「僕らが手におえなくなりパニックを引き起こせば、彼らも僕らを忘れたりしないだろう。僕らが住んでいる地区には援助が必要だということを、彼らは知っているはずだ」ということです。

▼昨日パリで開かれたカソリック司教会議で、内相と宗教相を兼ねるサルコジが顔を出そうとしたところ、司祭たちは彼がそこで演説することを拒絶した。司教たちは暴動の背景にある経済的、社会的、人種的な原因に対処する代わりに「弾圧を呼びかけ、恐怖心を植え付けようとする者たち」を非難した。ここまではっきりサルコジに向けて叱責が発せられたのは異例なことだった。

▼「予算削減は郊外市長たちを憤慨させる」という見出しのもとに、本日のルモンド紙はシラクと保守党が、過去30年にわたるスラム軽視の政策をさらに悪化させるような、社会政策予算の一段の削減を進めていることについて報道した。

2003年から若者たちとの共同作業を進めてきた地域グループへの財政支援は年間で20%削減された。青少年の職業訓練プログラムやスラムの若年層の雇用促進のための税制優遇措置の削減、教育や子供たちに読み書きを教えるプログラムの削減、スラムの子供たちのあいだに入って彼らを理解し共同作業を進める地域警察の職員削減(「警察の仕事は、子たちとサッカーをすることではなく、彼らを逮捕することだ!」)。

若者たちの疎外感を静め、暴力を減少させてきた予防的な活動を行なう警官の数がどんどん減っていき、その代わりに採用されたのは爆発が頻発するのを待ちかまえ、
CRS (Compagnies Republicaines de Securite,
hard-line paramilitary SWAT teams)
を送り込むことだ。社会政策予算の削減と弾圧の強化は、暴動激化のための処方箋である。

▼それゆえ今日のルモンドの社説は、このような闇雲な政策をつづければ2002年の選挙でにネオナチのジャン=マリー・ルペンが決選投票まで進んだような事態が再現するような大きな危険を招くことになるだろうと警告している。

▼そしてこの国の大多数の人々も、過去10日間の暴力沙汰によって一段と人種偏見を強めたらしく、強圧的な措置を容認する機運が高まっているようだ。昨晩放送された「France 2」の公開テレビショーで発表された世論調査では、フランス人の57%が、いまやフランス中に広がったスラムの若者たちの反乱への対処に、サルコジの強硬派路線を支持している。サルコジの扇動政治は効を奏しているようだ──少なくとも選挙民に対しては──だが、暴動を鎮圧することはできないだろう。たぶん悪化させるだけだ。

Doug Ireland, a longtime radical journalist and media
critic, runs the blog DIRELAND, where this article
appeared Nov. 6, 2005

http://direland.typepad.com/direland/2005/11/why_is_france_b.html


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