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2002年学校フォーラム

 2002年2月10日(日)岩手県滝沢村ふるさと交流館において「2002年学校フォーラム」が107名の参加で開催されました。教職員、市民、学生が同等の立場で一緒に話し合い参加型の学びの場を創っていこうとするこのフォーラムも今年で3回目。今回のテーマは「平和を学ぶとは、自分を知り、可能性を信じることから始まる」
 フォーラムはまず、実行委員長の小林英信岩手大学教授の挨拶の後、お互いに知り合い緊張をほぐすためのじゃんけんゲームが行われ、くじ引きでグループに分けられました。ここで出来たグループが今日の「疑似家族」です。家族のどの役割をするかを自己申告で決めて(例えばうちのグループでは小6の女の子が19歳の長男になりました)今日一日仮の家族として一緒に話し合い行動を共にします。
 その後、平和のためのプレゼンテーションが行われました。


 テロ事件とアフガン侵攻で、子ども達が考え行動したこと 

 まず、盛岡近郊の小学校からの発表がありました。
 ワールドトレードセンターのテロ事件が起きたのは、この小学校の4年生のクラスが平和について考える総合学習に取り組み、地域の高齢者から戦争体験を聞いていた最中の事でした。悲惨なテロのニュースだけではなく、米軍のアフガン侵攻も始まり、教室はとても重苦しいムードに包まれました。しかし、生徒の中から「平和のために私たちで出来ることをしたい」という声があがり「もっと沢山の人達にこのことを知らせよう」と壁新聞を作って張り出したり、他のクラスにも呼びかけて休み時間に集会を開いたりしする活動が始まりました。そしてその中で「募金を集めよう」とか「ブッシュ大統領や小泉首相に戦争を止めるよう手紙を書こう」などの新たな提案が出る度に、皆で話し合い行動をしてきました。この活動の中から、クラスや学年、生徒・教職員の枠を超えて90人の「平和をつくるために何かしたい会」が結成されたのです。
 本日の発表は、そのいきさつと自分たちの想いを「呼びかけ」に、アフガン難民の現状を「劇」に構成したものでした。間に劇をはさんで「もし、私があのビルで働いていた人の家族だったら…」「なぜ罪もない人が死ななければならないの?」「難民の人も平和な暮らしにしてあげたい」「戦争を止めさせたい」「平和をつくりたい」など、フォーラムに参加した40人一人一人が主張しました。また、今後の活動として「平和の絵はがきを作って他の学校に出し、平和についてもっとたくさんの人達が考えてくれるよう呼びかけたい」という抱負も語ってくれました。

 アフガニスタン人口の約4分の1が
 冬を越すために海外の援助を必要としている 

 次にアメリカ合衆国メイン州出身でアフガン問題研究家のアレックス・スミスさんからお話がありました。
 現在青森県で英語指導助手をしているアレックスさんは大学で国際政治学と映像関係を専攻。2000年1月から7カ月間と2001年年1月の2回、パキスタン国内で難民キャンプを取材しています。以下、講演の要約です。
 1979年から89年までの間アメリカ政府はアフガニスタンへのソビエト侵攻に対し物資や武器、100億ドル以上をムジャヒディーンに対し提供したが、ソ連撤退後アフガニスタン政府に援助をせず、その為に内戦が勃発した。その中でタリバンが支持されて来たのはアフガンで横行していた犯罪や殺人がタリバン政権によってくい止められたから。
 タリバン政権は女性や子どもに対する人権侵害も行ってきたが(女性の就学・就労禁止やブルカ着用強制など)タリバン穏健派や国連の交渉担当者達の活動により、タリバン政権は2001年までにいくつかの法律を緩和し状況はいくらか前進していたところだった。
 今年の冬を越すために海外の援助を必要としているアフガニスタン人は600万人(人口の約4分の1)にものぼり、援助をストップすればおよそ110万人(ワールドトレードセンターの犠牲者の200倍)もの人達が死に至ると言われている。
 かつて私はパキスタンの都市を何の不安もなく一人で歩くことが出来た。そこで出会うアフガン人は私を客人としてもてなしてくれた。しかし、いまそれらの都市では、アメリカ国旗を燃やし、ビンラディンをあがめる反米デモが行われている。…これがあのテロ攻撃が成し遂げた結果だ。
 教育のための援助やボランティアをするために、今年の7月、アフガニスタンに行く計画を立てている。
 僕はアフガニスタンの子ども達の笑顔が忘れられない。

 難民はどう感じているのだろう
  シュミレーションを行ってみる

 午後から午前中に振り分けた「疑似家族」に分かれて「シュミレーション、逃げる」を行いました。
 紙の鞄と数々の物を書いたカードが各家族に配られた後「あなたの住んでいる地域で戦争が勃発しました。ここから逃げなければ殺されてしまうかもしれません。今から20分の間に必要な物を鞄に入れてください」と進行役が呼びかけるとシュミレーションの始まりです。「食べ物、まず食べ物」「薬はいるよ」「トラベラーズチェックって何?」「ペットは連れていけないよ」「えーっ、そんなのかわいそう」などの声があちらこちらで聞こえていました。私も自分の「家族」の中で持ち物を確認しながら「じゃあ、化粧品は置いていくよ。もうしばらくは化粧は無しだ」と言ったら小6の女の子が「うーん、解るけど…でもちょっと悲しい」
 その後シュミレーションは更に過酷に。持ち物を半分に減らし、国境警備隊に「身分を証明する物がなければ強制送還だ」と言われ(ここでかなり警備隊と押し問答をした家族がいくつかありました)家族の一人が病気になり、やっとの事で何とか全員が難民キャンプに着くまでシュミレーションは続けられました。
 その後「家族」で感じたことを模造紙に書き出し、会場に貼りました。それを全員で読んで自分と同じ感想の人にシールを貼っていきます。多かった意見は「(違いはあるけれど)難民も私たちも同じ地球の人だ」「家族と離ればなれになるのはかわいそう」「戦争のない世界にしたい」「難民の力になりたい」などなど。
 
 最後に一日全体を振り返って意見の交流を行った後、2002年学校フォーラムは終了しました。

 実行委員として関わってきて

 まずお伝えしたいことは、とにかく楽しかったことです。当日も、準備も。
 昨年も感じたことですが、こちら側が対等な気持ちで子供の声を聞いていくと、彼等の考えにうならされる事が多い事に気付かされます。特に今回はテロと戦争の前に佇んでしまった大人が多い中で、小学生が足下から平和のために声をあげていったことに、そしてその輪が広がっていったことに感動しました。
 また、回を重ねるごとに、当初の目的であった「子どもの参加」が推進され、今回は実行委員にも沢山の学生が参加し企画と運営の一翼を担いました。特にシュミレーションで自由に発言できる雰囲気をつくりだした功績は大変大きいと思います。
 毎年このフォーラムに参加する度、特に今年は以前にもまして感じたことですが、もっと子ども達が持っている力を発揮しやすい社会システムを創り出す事が出来れば彼等はかなり社会に貢献するのではないか、と思います。この考えは何も夢物語ではなく、秋田の鷹巣町では公園建設の際に小学生のワーキンググループが建設計画に携わったというし、杉並児童館は中高生の運営委員によって運営されています。この様な試みが一部だけではなく社会全体に広がることを願って、報告を終わります。
 

 <特別おまけ>
 プレゼンテーションで発言した小学生の担任教師へのインタビュー

 前述の小学生による「平和をつくるために何かしたい会」についてもっと知りたいと思いました。そこで、会発足の軸になった「平和についての総合学習」を行っていたクラスの担任教師(佐々木徹先生、39歳)に書面でインタビューさせていただきました。

Q:総合学習で平和について取り上げたそもそもの理由は何ですか?

A:総合的な学習の時間は、子どもに学びの面白さや、学ぶことの喜びをダイナミックに体感させられるチャンスだと思っています。そもそも学校のカリキュラムとは「子ども達にこんな力を育てたい」「子ども達がこうなってほしい」という願いを実現させていくために何をするのか、という企画書みたいなものだと思うんですが、現実には、与えるものの方が生み出すものや創造するものよりはるかに多く、そして重く配置されています。
 あらゆる教科や教科外活動の中には、それぞれ「人間らしく生きる」力の基盤をなすものはあると思います。「違いを豊かさと捉え相手を尊重し、自分を愛することができる」力や「違いを乗り越え、共同で何かを作る、現実を変える(未来を変える)」実践的な力は、確かにそれぞれの教育活動の中には存在します。しかし、学びの主人公は子ども自身です。その子ども達に、それらは総合的に理解されているかというと、決してそうはなっていない。「平和って何?」「人間らしく幸せに生きるってどういうこと?」そんな問いへの答えが、学校で行われている学びを縦軸で紡ぎ合わせるキーワードになる。「平和」について、感じ、考え、自分や周りを見つめなおすことが、すべての学びを自分にとって意味のあるものにグレードアップさせられると考えたのです。
 私は小学校4年生の担任をしています。初め、学年の先生達の中には「平和」をどう教えるかということについて若干の戸惑いがありました。戦争について考えていくときに、教師の頭の中にはアジア・太平洋戦争が真っ先に浮かぶのですが、社会科として6年生で教える中身なので、そのことから考えて「4年生でどうやって」と考えてしまうのです。しかし「平和ってどんなこと」「平和を学ぶって子ども達にどんな力を育てること」なのか教師集団で話し合い、共通のイメージを持ち、決して子どもとはなれたテーマではないことや「人間としてどう思う、どう感じる」ことを大切にしていけばいいという結論でスタートしました。結果として、そのアプローチが総合学習の学び方そのものであったといえるでしよう。
 学校現場の頭の中には、結構、既存の教科や文部科学省からおろされたテリトリーでしかものを考えられないところがあります。教育基本法でいっている、教育の目的にぴったり来るテーマは「平和と民主主義」です。そういう大本から考えれば、中心に据えて取り組むことなんだけれども、それができていなかった。私は「自分の思いをみんなに大切にされて、学びを深め合う中で相手のすばらしさを感じ、共有できた思いで何かをつくれる、前進させられる」そんな学習を子供とつくっていけるのが、大事なことだと思っていますが、その要素がいっぱい詰まっているのが「平和」の学習であり、未来への希望を持つことができるのが「平和」学習だと思っています。総合で「平和」をテーマにするのは、子どもにとって必要だからです。

Q:私自身、テロ事件が起きた時「子供にどう話すのか」かなり悩みました。その時のことを教えてください。

A:私は事件の当日はテレビもつけずに早く休んでいたので、翌日子どもが教室で話していることで知りました。繰り返されるテレビの映像を見て、初めは思考が停止してしまうショック状態に陥ってしまいました。しかし、繰り返す映像を見ているうちに、だんだんビルの窓の中に、突っ込んでいく飛行機の中にあるであろう、もうこの世から命の火が消え去ってしまった見知らぬ人の顔が頭の中に描かれていきました。そして、矢継ぎ早になだれ込んでくる情報の渦の中で、戦争が始まることを実感していきました。
 ちょうどそのとき、私たち4年生の学年では、15年戦争の聞き取りや追体験の活動を通して「戦争ってなんだろう」「平和が絶対いい」ということを感じたり、思いの交流をしたりしている真っ最中でした。子ども達にとって、今感じていることが56年前に終わったことではなく、今の時間のことだということは非常にショッキングなことだったと思います。だからこそ避けて通れることではないという思いが、私には第一にありました。そして、それまでの学習の自然な流れとして「思いを馳せる」ことこそが今大切だと考えました。貿易センタービルで、飛行機に乗り合わせたことでなくなった人達を身近な一人の人間として感じること、それぞれの人生が暴力によって強引に奪われることへの理不尽さ、報復として攻撃される人達の感じる理不尽さを感覚として捉え、そこで生まれた思いを共有したいと考えて授業をしました。9月17日のことでした。

Q:「平和をつくるために何かしたい会」の一員として今までの感想と今後の抱負をお聞かせください。

A:私のクラスの運動は、あくまで個人の思いで行動することを大切にしてきました。「平和が壊れてしまった。平和を取り戻さないといけない」「小さなことでも、誰かに伝わって、みんなで何かすれば力になるかもしれない」これは子ども達の言葉です。思いは共有しながら自分のやりたいことをやろうということで、募金箱を作ったり、ポスターを描いたり、自分でいける子どもは地域のお店やスポーツ少年団や家族や友達に募金をお願いしたり、メッセージカードや絵はがきを書いたり、いろんなことをしてきました。誰かに思いを伝えること、アクションを起こすことで、自分たちの思いもさらに豊かになっていくことを感じました。
 クラスから全校への発信として「平和を考える集会」を休み時間を利用して体育館で行い、高学年を中心にして聞いてくれる人達が来てくれて、思いを伝える意味や意義を感じることが出来たようです。「発信する人、受け取る人という関係だけでいいのか」「一緒に思いの輪を広げる仲間になってほしい」そんな願いで「一緒に平和をつくるために、やりたいこと、できることをやってみよう」と呼びかけた結果できたのがこの会です。12月も終わろうとしている時期の結成だったので、何回かの集まりの中で出来そうなことを提示しながら一人一人にやりたいことを考えさせて来ましたが、実質的な活動はまだ余りありません。学校フォーラムへの参加で、大きく誰かに伝える活動はやり切れましたし、クラスの学習のまとめはたっぷりと進んでいきましたが、せっかく集まってくれた他の学年・クラスの子ども達にも「参加して、何かをつくった」という思いを持ってほしくて、絵葉書づくりをして募金や平和を考えることを呼びかける、ほかの学校への取り組みに全員参加できるように工夫して活動しています。
 私も担任を離れますし、会員の多くを占める6年生も卒業してしまうので、組織としてこの会を学校の中に残していくかどうかは未定です。しかし会は子ども達自身のものなので解散するのかどうかも含めて決定させようと思います。何らかの形で活動できたらいいし、他の教職員の皆さんに支えていただきたいという願いを持っています。私は一時現場を離れるので、この会が発信した思いを他の学校の子ども達にしっかりと届け、そこで生まれた思いを返していくように、ネットワークづくりをする役割を担っていきたいと思っています。「平和」の情報を子どもに送り、参加しながら学校を超えて考え、行動する思いの輪を作っていくことができたらと考えています。
  

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